〜メグロの小部屋〜:500cc・Z97 1937年、メグロの市販二輪車第一号である。それまでに、メグロは国内で開催されていたオートレースに自社の機関で上位入賞を 繰り返していた。この実績を元にメグロは二輪車の市販を企画、当時オートレースを通じて親交のあった、多田健蔵(1930年、 英ベロセットの製造メーカー・ベロセ社の招きで日本人初の英国T・Tレーサーとなる)のアドバイスにより、ベロセットKSSモデル を入手、研究(実体はフルコピー)の末、完成させた。 フレームはベロセットKSSモデルのものをベースに丸鋼管ろう付け組立。マフラーの形状(フィッシュテール形)までコピーしている。 変速機は、自動車用機関として製造・販売していたメグロ独自のもの。英スターメイアーチャー社のミッションを国産化、そして改良 開発によって戦前の「メグロのギヤーボックス」というブランドを確立した変速機であり信頼性が高い。 機関は同じく、更に遡る1932年より自動車用機関として製造・販売を始めていた4サイクルOHV機関より単気筒498ccモデル を使用。この機関は、当時非常に進んだ設計であったスイス・モトサコシ社のMAGエンジンを国産化したものであった。その特徴は、 エンジンにヘッドカバーが付き密閉されたこと、そしてロッカーアームがローラーベアリングで支持されていたことである。 型式名:Zとは、遡ること日露戦争時、ロシア最強のバルチック艦隊を対馬沖の日本海上において、旧日本海軍連合艦隊が迎え撃った おり、司令官・東郷平八郎が旗艦・三笠の艦上より「皇国の興廃、この一戦にあり」と砲撃開始の合図に掲げた「Z旗」が、名前の由来と される(長い説明ですみません)。「97」は年式、とはいっても、これも元号や西暦ではなく、当時国民高揚のため神国日本を宣伝 するために使われた「皇紀」という神武天皇即位よりの紀元から、'37年が2597年であるとされたことからとられている。しかし ながら、メグロがこのような製品名を付けた背景には、軍国主義的要素は薄い。この車の売り先としてメインターゲットに置いたのが他 ならぬ旧日本陸軍であったので、少しでも軍人受けする名前(実際、軍用装備の型式名はこのような「皇紀」にあやかる付け方がされて いた:零式戦闘機、一式陸上爆撃機など)にして、軍用バイクとして採用されることに配慮してのことであったと考える。しかし思惑は はずれ、陸軍からは「優秀」とのお墨付きは得られたものの正式採用に至らず、かわりに警察庁で白バイに使ってもらうことが決まった 他は、販売代理店も無いまま市販を余儀なくされた次第であったのが本当のところのようである。海軍由来の名前を付けた製品を陸軍に 売り込んだことで、ひんしゅくを買ったのでは、と思うのは考え過ぎか? 現在まで残る車は「メグロワークス」では未確認だが、Z97として一台、社団法人・自動車技術会の調査により東京神田の交通博物館に 保管されている旨、報告・登録されている。 ・・・主要諸元・・・ ・全長:2110mm ・全幅:750mm ・全高:1000mm ・軸間距離:1352mm ・車輌重量:170.6kg ・機関型式:ICI型:単気筒OHV4サイクル ・総排気量:498cc ・最大出力:11HP/3600rpm ・最高速度:80km/h ・燃費:24km/リットル ・変速機:手動3段 ・タイヤ:(前)3.50×19−4 /(後)3.50×19−4 ・始動方式:キック