〜メグロの小部屋〜:125cc・E3 メグロ125cc・E3は"レジナ"シリーズの後継車として浅間火山レース用マシン開発の技術を基に1957年12月より試作開発が 始められ、翌58年7月より発売されたメグロ初のOHC4サイクル車。同じく開発された250ccのOHC4サイクル車・F型と共にメグロ の新シリーズにと目論見られたが市場に受け入れられず、メグロに業績不振を引き起こす要因ともなった。 1960年1月までに1962台が生産されている。 メグロの市販用OHC4サイクル車の開発は、浅間火山レースで活躍したマシンの機関開発を手掛けた鈴木滋治 設計部長(当時)をスーパー バイザーに置き、若手新人技師であった林政康(後にメグロK、MA,CA、SGTなど末期メグロの新型機関開発を手掛ける)が自身に よる初めての設計担当として完成させた機関がE3用のEH3型:123cc単気筒OHC4サイクルエンジンであった。 F用のFH型・249cc単気筒OHC4サイクル機関は鈴木自身の手による開発ではあったが既に管理職の身では技術革新による新開発案件 全てを引き受けることが困難であることから、以降メグロ技術部では部下による車体・機関・検査の分業体制が採られるようになる。 EH3型機関は機構的にはFH型同様のオーソドックスなモノブロックSOHC機関にまとめられてはいるが、林による野心的な設計は ボア×ストローク・56×50のオーバースクエアな設定で、その特性は完全な高回転高馬力型のまるでレーシングマシーン仕様のよう なエンジンであった。このためか市販時には抑えられた最大出力は試作では9HPにも達していたと云われている。それでも8.2HP /7000rpmと云う特性は従来の低回転高馬力型の仕様に馴れたメグロユーザーには受け入れ難いものでもあった。 シリンダヘッドはアルミ合金。シリンダは特殊鋳造プロセスによる鋳物鋼センダイトメタル製のシリンダスリーブをいわゆるアルフィン で鋳造時に組み込んだ放熱性に優れた構造。 車体も格上のF型同様にインダストリアルデザイナーとして著名であった由良玲吉氏によるデザイン。E3は更にヨーロピアンスタイル が洗練されて燃料タンクも後に「鉄かぶと」などと評されたF型とは異なり小型バイクらしい小振りでより軽快にデザインされている。 この仕様は後継車のCAキャデットでも用いられて評価を得ている。 外装の意匠も従来の黒色などをベースとしたモノトーンから明るいグレーに、燃料タンクはライトブラウンに塗り分けされたツートーン 仕様。 更に外観上の特徴としてフロントホイールのサスペンションをリアと同じショックアブソーバを用い、いわゆるアールズフォークとした ことであろう。メグロにとっても実験的な採用であった為か他には採用されることが無かったが乗心地の改善には一定の評価を得ている。 従来のメグロからは兎も角、国産バイクとしても先進的な考えから誕生した新メグロシリーズではあったが、余りにも極端なエンジンの 特性に加え従来からのメグロイメージからもかけ離れたデザインのバイクに、一般の新規ユーザーからもメグロ愛乗者からも敬遠される 結果を招くことになる。機関設計を担当した林は後年「結果として失敗作。低速が使えないメグロと不評になったが、しかし自身では 会心の出来だった」と回顧するように、僅かに遅れて高回転高馬力型のレーシングマシン紛いのバイクが市場に現れ始めるが、メグロに とってはそれまでに築き上げたブランドイメージとの乖離が新シリーズの失敗につながったとも云えよう。もしホンダかヤマハであれば 違和感無く受け入れられたと考えられなくもない程に、ブランドイメージとはかくも重要かつ繊細なのである。 結果的にこれらメグロの新シリーズに投資された資本の回収は進まず、経営負担として重く圧し掛かったことがメグロ凋落の大きな要因 であったことは明らかであった。そのような意味でE3は不遇の名車とも云えよう。 2年余りの僅かな期間に僅か2000台程度の実績に終わったE3の残存状況は厳しいと云えよう。同様に実績の少ない他の人気メグロ 車のように大事にされていれば可能性もあるが、残念ながら大多数はスクラップになってしまったようである。もし残っているならば農家 などで使われてそのまま納屋に忘れ去られている場合であろう。いずれにしても今後の発見に期待したい。 ・・・主要諸元・・・ ・全長:1940mm ・全幅:700mm ・全高:960mm ・軸間距離:1270mm ・車輌重量:118kg ・機関型式:EH3型:単気筒OHC4サイクル ・総排気量:123cc ・最大出力:8.2HP/7000rpm ・最高速度:85km/h ・燃費:60km/リットル ・変速機:前進4段ロータリー ・タイヤ:(前)2.75×17−2 /(後)2.75×17−4 ・始動方式:キック