〜メグロの履歴室〜:メグロの終幕(2)  昭和39年も夏の盛りを迎えようとする頃、カワサキメグロの横浜本社工場では東京五輪大会の開催を目前に警備用の 500cc:KPの生産が大詰めと為り、場内は一時の賑わいを見せて居た。それは目黒製作所が活況で在った往時を思う かのような光景では在ったが、ラインに居並ぶ工員の大方は明石の川崎航空機工業本社工場からの出向者であり元メグロ 従業員の委嘱者は僅かに居るのみと為って居た。  そのKPの生産も8月中頃には無事に完納と為り、KPの生産ラインは順次解体されて明石の本社工場へ、或いは償却 されて行き、いよいよ工場建屋に残るのは9月より出荷が予定されて居た新型車、250cc:SGTの生産ラインのみで 在った。空きの多いガランとした建屋内では僅かな工員が数台ずつのSGTを組み立て続けて居た・・・  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   既にカワサキメグロ製作所の整理は既成と為って役員以外の従業員は全て退職しておりメグロオートバイの生産も終了 したが、2月の工場閉鎖までに生産されたモデルは全てカワサキ自動車販売に一括して納品がされて市場には何事もない かの如くメグロオートバイが通常に販売されて在った。しかし販売実績は確実に減衰しており限られたモデル以外は全く 売れないまま経過して行った。 参考までに、新規登録台数記録を視ると、 ・昭和39年々間登録台数記録(3月31日迄)          小型二輪(500cc:KH型、325cc:YA型、300cc:J−8型)                   ・・・・・・・・・・226台          軽二輪(250cc:S−8型、AT型、170cc:DA型)                   ・・・・・・・・・1546台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    登録台数合計・・・・・・・・・・・・1772台                  (自動車統計:社団法人 日本自動車販売協会連合会 編、より抜粋) カワサキメグロと為って以降の各モデル別生産実績数は記録に無いため代わりに統計台数を参考とされたい。小型二輪は ほぼ500cc:KH型のみと云ってよいだろう。また軽二輪も全数が250cc:S−8型かと思われる。4月以降の記録 は全て川崎航空機の記録として計上されてしまうため、メグロのモデルを特定することができない旨、容赦願いたい。 同年に生産された各モデルの台数を把握するのは困難では在るが、500ccでは五輪警備用KP型の車台番号6000以降の 全数と、250ccではS−8型の車台番号3000以降(?)の約4000台余りではなかったかと思われる。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   9月も終わる頃、最後に残って居たSGTの生産も終了し、カワサキの明石本社工場への移管業務を残すのみと為った。 工場に残る設備やら部品やらが明石に向けて運び出されて行き残務を手伝う元社員が見送るばかりで在った。一方、東京 の元目黒本社の塗装工場建屋に構えて居たカワサキメグロ本社事務所では川航の第3設計課東京分室(元メグロ設計課で、 第5設計課から4月1日付で改称)も9月27日に閉じられて明石の本社へと移った。  そして迎えた9月30日、カワサキメグロ製作所は正式に川崎航空機へ統合吸収と為り目黒製作所の創業から40年の 歴史が閉じられたのであった。  業務の最終日と為った10月3日、横浜本社で待機して居たのは元社員ひとりと電話交換手2名が残るのみと為り終業 時間を最後に退社して終わった。何らセレモニーも無く、只々予定されたとおりに進められた会社整理の結果では在るが、 メグロと云う国内有数のオートバイメーカーの終幕には余りにも寂しいもので在った。  日本中があと数日に迫った東京オリンピック大会の開催に沸き立つ中、記念のセレモニーパレードの先頭を走る警備の 白バイがメグロのことなど何事も無いかのように誇らしげに輝いていた・・・                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著         八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」より、              「川崎モーターサイクル用4ストロークエンジン開発史"稲村暁一の軌跡"」各編         ぶんか社「カワサキバイクマガジン」より「カワサキ創成期の証言者」各編         毎日新聞社「The Bike」より「時と人・バイク風土記(蔦森樹・編)」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)