〜メグロの履歴室〜:カワサキメグロの時代(4)  K型後継機種の開発に掛かる昭和38年、メグロとカワサキの技術融合は開発設計のみならず生産現場に於いても同じ に為されて居た。品質管理が徹底したカワサキの工場に対し、メグロの生産品質には不安定なところが顕著に視てとれた。 そこで川崎航空機工業はカワサキメグロでの生産品質の安定化を図るべく技術担当者を出向させて現場の改善に掛かった。 部品の生産管理を改善して、製造工程の見直しに拠って精度と歩留まりの向上を図り、品質生産性の向上につなげる目的 で在った。ところが、その途上で不可解な事象が発覚する。図面のとおりに加工精度で仕上げた部品を用意したところが、 組み立てるとスムーズに動作しないので在る。川崎航空機では、部品精度と組立精度が合致することが当然とされる為、 図面とおりに出来た部品で在れば組立に支障が出ることは皆無で在る。そこでメグロの作業者から意見を聞くと、其れは 図面のとおりに部品を加工したからだと云う、奇怪な答えで在った。  メグロでは慣例的に一台のオートバイを組上げるまでに不具合を調整しながら仕上げる生産方式で、仮に不揃いな部品 品質で在っても、組立の際に修正を加えて使用して、完成後にテストランを実施して出荷検査とする実車保障で在った。 昭和30年代初期頃までは多くの自動車メーカーでもテストランに拠る実車保障が品質管理の主流で在ったが、終戦後に 紹介されたアメリカ流儀での生産品質管理が浸透して、昭和35年頃には、部品生産からの品質管理に拠り組立ライン化 がされて、高品質での大量生産が図られるように為って居た。殆どのバイクメーカーでは既に出荷検査のテストライダー は居なかったが、メグロでは未だ検車課を置いて出荷検査でのテストランを行って居たので在る。  メグロは生産方式に於いても時流に乗り遅れて居た。生産現場の改善は先ず図面の見直しから始められ、不具合の要因 と為った問題箇所の図面修正が為された。そして部品を改良すると共に加工精度も向上した上で組立ライン化することで 完成車の生産品質安定化が為されたので在る。  実際に前年度までの部品仕上げと昭和38年度以降での部品仕上げの精度向上は顕著で在り、例えば250cc・S7と S−8では同じエンジンで在りながら、明らかにS−8用の改良部品は高品質で在る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   カワサキ流の生産技術が導入されて遅まきながら生産ライン化が為され、生産品質も向上されつつ在ったが、販売実績 の向上につなげるには遅きに失した感が在った。カワサキメグロに於いて主力商品で在った250ccモデルは、新鮮味の 薄れたS7からメグロ愛乗者の要望に応じたS3ライクなS−8にモデルチェンジを図ることでやや実績を挽回し、小型 モデルの125cc・CAも根強い人気を得ては居たが、積貨用途のニーズを目論み発売した250cc・ATが全くと云う 程に需要が無く、高速道路需要を見込み発売した小型二輪クラスの300cc・J−8も中途半端な立ち位置に在った。 唯一、官需の安定した需要が在った500cc・Kはオリンピック警備用としての必要台数の内示は在ったものの後継機種 での用意を前提とされて在ったことから保留と為り伸び悩んだ。 その結果として、カワサキ自動車販売のラインナップ充実には貢献したメグロブランド各車は実績を伸ばすことが出来ず、 前年度実績を越えるに至らない一方で好調に推移するカワサキブランド車の後塵を拝する状況に陥った。 カワサキメグロ製作所としての昭和38年度業績は、       ・昭和38年々間生産台数記録          小型二輪(500cc:KH型、325cc:YA型、300cc:J−8型)                   ・・・・・・・・・・870台          軽二輪(250cc:S−8型、AT型、170cc:DA型)                   ・・・・・・・・・5668台          原付二種(125cc:CA型)                   ・・・・・・・・・・638台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    生産台数合計・・・・・・・・・・・・7176台                  (自動車統計:1963年月別銘柄別生産台数、より抜粋) 参考までに、新規登録台数記録を視ると、       ・昭和38年々間登録台数記録          小型二輪(500cc:KH型、325cc:YA型、300cc:J−8型)                   ・・・・・・・・・・876台          軽二輪(250cc:S−8型、AT型、170cc:DA型)                   ・・・・・・・・・4725台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    登録台数合計・・・・・・・・・・・・5601台                  (自動車統計:社団法人 日本自動車販売協会連合会 編、より抜粋) カワサキメグロと為って以降の各モデル別生産実績数は記録に無いため代わりに統計台数を参考とされたい。小型二輪は その殆どを500cc:KH型が占めると視られる。325cc:YA型と、300cc:J−8型は数十台程度の実績 かと思われる。軽二輪に於いても大半は250cc:S−8型で、AT型は最終的に210台の生産数で在ったとされて 居る。170cc:DA型は数百台程度で在る。原付二種は125cc:CA型で占める。 同年の川崎航空機工業に於ける生産台数統計では34954台とされて在り、その比較で視ればメグロブランドの衰退は 顕著で在ると云わざるを得ない。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   川崎航空機として視れば、当初の目論みに在ったメグロの販売網を活用する施策はほぼ現実と為り、代わりにメグロの 再興に支援と投資を手厚く実行した結果として、カワサキメグロの営業実績は改善されたと云うには余りにも掛け離れた と云わざるを得ないで在ろう。この時点に於いてメグロを川航と技術融合させて統合することが最善の策で在ると感じる のは、誰の目から視ても異議は無いのではなかろうか。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著         八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」より、              「川崎モーターサイクル用4ストロークエンジン開発史"稲村暁一の軌跡"」各編         ぶんか社「カワサキバイクマガジン」より「カワサキ創成期の証言者」各編         三栄書房「月刊モーターファン・別冊'64世界オートレビュウ」         自動車統計:社団法人 日本自動車販売協会連合会 編         専修経済学論集「二輪自動車産業における寡占体制形成」水川侑  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)