〜メグロの履歴室〜:カワサキメグロの時代(3)  明けて昭和38年に入り、東京五輪の警備用としてのK型後継機種開発は時間との競争状態に在った。前年末の第二回 検討会議に於ける課題を基に、同年1月21日に第三回検討会議を開催して再討議が為された。現実的問題として試作に 掛けられるタイムリミットは1年も在るか否かの瀬戸際に在り、OHCユニット仕様の高性能型エンジン開発は見送らざ るを得ず、討議では如何に現行のK型を現実的進化させるかに要点が置かれた。  横浜本社工場内にて午前10時から開かれた会議ではカワサキメグロと川崎航空機工業の技術担当者が揃い討議を重ね 結論を導き出したので在る。 ・昭和39年4月にK型後継機種(K2型)量産をスタートするに際しては、エンジン生産の全てを川航側に委ねる。  現時点に於いてはメグロ側に開発余力が無く、試作から量産まで一貫して開発を進める必要が在るため。また新規に  エンジンを開発するには川航側の技術的スキルの不足懸念から時間的制約に間に合わないことが想定できることから、  K2型は現行K型を基本とした改造型を前提に置く。 ・K2型量産体制の準備に際しては、メグロ側は既存モデルの生産維持に従事専念するものとして、川航側にて別途に  エンジン他主要部分の生産ラインと車体組み立てラインを選定用意する必要が在る。 この方針に基づき、K型後継機種と為るK2型のエンジン試作(開発コード:XKB271)が川崎航空機工業に於いて 開始されたので在る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   エンジン試作に合わせ同3月と6月にも横浜本社工場内にて技術会議を開催して、メグロ側技術陣のサポートを得て 川航側に拠る試作設計が進められた。このメンバーには後にカワサキの名車Z1・Z2のエンジン開発で知られることに なる稲村暁一が加わって居り、この習作が彼にとって初めての二輪車用4ストロークエンジンで在った。 6月4日開催の会議では早くも一次計画図の討議が為され、8月には一次試作エンジンのレイアウトが成り、9月までに 試作図面が出図された。 これを受けて、メグロ側で車体設計が為されて10月末には試作フレームが完工、同時に用意されたトランスミッション と共に川航本社の明石工場へと送られた。こうして一次試作車は11月中旬までに仕上げられて性能実験に入ったのだが 実験に掛かる時間的制約とエンジン以外の調達先手配に難航したことから、東京五輪の警備用としてのK2型量産開始に は間に合わないことが明示的と為り、試作と性能実験は継続実施とするも、五輪警備用としてはK型のマイナーチェンジ (オイル潤滑系の容量増加とエンジン組立用スタッドボルトの改良)に拠り生産対応することが決定された。 結果、K2型はカワサキ初の大型4ストロークエンジン車として登場するまで待たねばならなく為ったので在る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   K型後継機種の開発に追われるなか、カワサキメグロとしてもう一方の重要開発案件が在った。昭和37年末に試作を 完成させた新型250ccスポーツ仕様モデルの開発で在る。500cc・K型のエンジン設計でスーパーバイザーを担った 林政康がエンジン基本設計を行い、開発コードはAY型とされた。ピストンにはKH型エンジンの二気筒用のものを流用 して単気筒に充て、OHV仕様ながら従来のS型シリーズのような機関と変速機を分離した旧式の別体式ではなくOHC 仕様のF型的な一体(ユニット)式として、プッシュロッドがシリンダブロックに内包されたケーシングもデザインされ たものと成った。林は6月から8月に掛けて、完成車開発に向けての改良エンジン2AY型の再設計に掛かるべく川航の 明石工場に出向する。その間に丁度K2型一次試作エンジンの設計が重なり双方の技術者が密接に関わり合い技術的意見 交換の機会を得ることと為る。 設計手法ひとつにしても異なる事柄が在り、川航は既に品質管理に主眼を置いた規格化や標準化がされたルールに基づい た流儀であり、一方のメグロでは旧来からの経験に基づく手慣れた前例主義的な流儀であった。車体設計に於いても図面 やデザインスケッチの向きが、川航では車体左側面を正面に置くのに対しメグロでは車体右側で在った。このような相違 はその数か月間に融合して双方の事案に反映されていく。特にエンジン開発に於いてはこの間にメグロから川崎航空機に 技術伝承が為されたと視られる。名実共にメグロからカワサキに技術が引き継がれた瞬間で在った。 今につながる、カワサキモーターサイクルの実質的な原点で在る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   250ccの2AY型エンジンは川航開発コード:YKB171と為り、昭和38年の第10回東京モーターショー出展 に合わせるべく、晩秋までには試作車に拠る耐久検証テストも済ませて量産モデル車が完成する。 メグロSGTとモデルネームが付けられた新型車の外観は従来のメグロスタイルとは全く異なりよりスポーティーな燃料 タンク形状とタンデムシート、直線的なフレーム構成で脱実用車を目指している。どこかヨーロピアンモデルの雰囲気を 感じさせるデザイン。エンジン形状は従来の英国車的スタイルから一転してイタリアンスタイルに近い。 突起が無く2ストエンジンのようなヘッドカバーに、シンプルなクランク〜ギヤ部周辺、左に移ったシフトアームなど。 しかし、その特性は他社のような高回転高馬力なものではなく、従来タイプの低速高馬力で粘りのある特徴を兼ね備えた。  一般公開を前にカワサキメグロ横浜本社工場にて撮られた完成記念のポートレートには、技術部設計課一同8名が並び 完成したSGTを前に、成し遂げて満足そうな表情とカワサキメグロの行方を案じるかのような寂しげな表情が交錯して 写って居た。このあと林は五輪警備用としてのK型改良に関わり、此れを最後としてカワサキメグロから去ることになる。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著         ぶんか社「カワサキバイクマガジン」より「カワサキ創成期の証言者」各編  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)