〜メグロの履歴室〜:カワサキメグロの時代(1)  昭和37年11月1日を以て株式会社目黒製作所は株式会社カワサキメグロ製作所として再スタートを切った。 同12月3日には目黒雅叙園に於いて、報道関係者を集めての潟Jワサキメグロ製作所の発足と新社長に就任した 土崎社長の発表披露会を催し、市場に漂って在ったメグロに対する不安の払拭に努めた。 そして矢継ぎ早にメグロブランドのニューモデルを続けて発表したので在る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   第9回東京自動車ショーで一般に公開された搬送用バイク、250cc・AT「オートラック」の発売を開始して 直に、S型シリーズ「ジュニア」の新型モデルとして、S7型仕様とS3型の意匠を組合わせて改良したS−8 「ジュニア」を発表し旧来からのメグロ車ユーザーの期待に応えた。250cc・ジュニアS−8はメグロ愛乗家が 惜しむS3の優雅な意匠にS7の実用仕様を反映させたS型「ジュニア」の集大成と云えるモデルで在り、翌年の 3月から販売が開始されると同時に人気を得て業績悪化の歯止めと為した。また派生仕様として従来の中級クラス のモデルで在った325cc・YAアーガスのてこ入れと、来る高速道路時代を見据えた自動二輪車クラスとしての 再生を期してS−8の排気量を288ccにボアアップした、300cc・J−8アーガスを昭和38年7月より販売 する。また目黒製作所時代より生産がされる125cc・CAキャデットと、170cc・DAレンジャー、500cc ・Kスタミナの継続生産も為されることに拠り、従来に変わらぬ幅広い商品ラインナップを揃えた。 当初、川崎航空機工業との提携に際し川航の既成商品と重なる小排気量モデル(125cc以下)については川航の 占有範囲としてメグロ側に撤収を求め、此れに応じるかたちでメグロ初の50ccモデルとして発売寸前に在った、 MAアミカの上市を中止。125cc・CAの生産販売も中止する旨で在ったのがメグロの既成モデルとして一定の 販売実績を得て居り、生産中止に拠ってみすみす収益を逃す必要にないとする判断から継続して生産がされて居た。 (一説には、カワサキは2サイクルモデルの専業メーカーだったので、メグロの4サイクルモデルとは分けて生産 するとして125cc・CAの生産継続が為されたとする記述も在る) 此れに加えるかたちでカワサキブランドの小排気量モデルを同じパンフレットに並べることで、両社製品の販売元 で在るカワサキ自動車販売のラインナップはホンダやヤマハに引けを取らない内容と成ったので在る。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「カワサキ“モーターサイクルズストーリー”」小関和夫・著         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著         毎日新聞社「The Bike」より「時と人・バイク風土記(蔦森樹・編)」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)