〜メグロの履歴室〜:メグロ終焉期(14)  昭和37年9月4日、急遽に取締役会が召集された。 目黒製作所の資本金を半減して、其の分を川崎航空機工業が増資引受すると云う事案検討で在った。 その骨子としては、 ・目黒製作所の資本金:3億円を1億5千万円に減資する。 ・代えて1億5千万円を川崎航空機工業に指名引受として増資する。 ・社名を竃レ黒製作所から、潟Jワサキメグロ製作所として改称する。 ・減資および増資の賛同了解を金融取引、販売代理店等の関係先より得ること。 つまりは、川航がメグロ株式の半数を取得して公然と子会社化とすることが主旨であった。 6月14日川航・岐阜事業所にて交わされた業務援助の要請に対する川航側の要求が、まさにこの事案内容で在る。 昭和35年以降メグロの支援を続ける川航にとって一向に業績が回復しないどころか川航の業績にも影響を及ぼし かねない状況まで悪化して居たなかでの更なる支援を施すとすれば、川航の下で合理化を進める他に手が無かった と云える。更にはメグロのブランドを積極的に利用できると云うメリットも在った。 こうして、カワサキ主導によるメグロの改変事案が決議実行されるに及んだ。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   9月14日、東京証券取引所および兜町記者クラブに於いて、目黒製作所会見として資本金の減資および第三者 一括割当に拠る増資の計画を発表する。此れに拠り東京証券取引所では二部上場の目黒製作所株式を同17日より 特設ポストに移して取引の混乱を抑えた。市場予想として、メグロの業績悪化が顕在化したと視られることに拠る 影響懸念(メグロ倒産の流布)が在ったが、増資の引受先が川崎航空機工業と判り混乱は限定的で在った。  そして10月31日、臨時株主総会の開催に於いて、 ・資本金:3億円を1億5千万円に減資して、株式2株を合資して1株とする。 ・増資分として、新株式300万株(1億5千万円)を発行し、全額を川崎航空機工業鰍フ一括引受として与える。 ・商号を竃レ黒製作所から、潟Jワサキメグロ製作所に改称する。 以上の事案について決議がされた。なお減資と増資の実発効は翌年2月となった。 続く11月29日、目黒製作所として最後となる第44回定期株主総会に於いて、取締役3名の辞任(渡辺英太郎、 角田芳治、萩原徳憲)および監査役2名の辞任(東野公一、告野端午)に伴う役員改選が為され新たに取締役3名 と監査役2名が新任した。   取締役 土崎英利  (カワサキ自販社長、川崎航空機工業叶齧ア取締役 兼務)    同  長久正雄  (川崎航空機工業鰹務取締役 兼務)    同  神武敏彦  (川崎航空機工業且謦役 兼務)   監査役 渡辺英太郎 (取締役辞任後、就任)    同  萩原徳憲  (同) また株主総会終了後に取締役会を開き、代表取締役などの改選を決議する。   取締役会々長  鈴木高治   代表取締役社長 土崎英利   専務取締役   小川卓三 (技術生産担当)   常務取締役   鈴木武雄 (総務・烏山工場担当)     同     小栗正一 (企画室長)   取締役     渡部茂三郎(資材部長)    同      井口 寿 (烏山工場長:部長職に在った第2営業部を廃して転任)    同      村田敏夫 (総務部長:烏山工場長より転任)    同      長久正雄 (非常勤)    同      神武敏彦 (同) 会長職に就いた鈴木高治を除いて主立った旧来からの目黒製作所の重役は退き、代わって川航からの新たに赴いた 重役3名が新生メグロの舵を取る布陣に在ることから視ても、もはやカワサキ傘下に在ることが明確となった。 唯一、鈴木高治が会長に就いては在るもののメグロのブランドを示すシンボル的な位置付けでしか無くなって居た。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   なお、当然のことながら配当実績は通期で欠損無配を期して居る。       ・昭和37年度配当記録          3月期決算:第43期・・・・・・・・・欠損無配          9月期決算:第44期・・・・・・・・・欠損無配 関係先への出資の見直しも進められて、部品製造子会社のメグロ鍛造鰍ヨの出資分334万円のうち、50万円分 (1万株)を10月に小林躁二氏への譲渡として284万円に減額。更に同、子会社の目黒プレス工業鰍ノ対して は出資資本金100万円を回収するべく、同社長の加部氏に全株式を売却譲渡とした。 目黒製作所としての最終年度業績は、       ・昭和37年々間生産台数記録          500cc:KH型・・・・・・・・・・731台(9.87%)          325cc:YA型・・・・・・・・・・・18台(0.24%)          250cc:S7型・・・・・・・・・4515台(60.96%)          250cc:F型・・・・・・・・・・・・11台(0.15%)          250cc:AT型・・・・・・・・・・150台(2.02%)※          250cc:S−8型・・・・・・・・・・90台(1.21%)※          170cc:DA型・・・・・・・・・1099台(14.84%)          125cc:CA型・・・・・・・・・・793台(10.71%)          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    生産台数合計・・・・・・・・・・・・7407台          ※実売は潟Jワサキメグロ製作所に移行後 前年度を更に下回る悪い内容で在ったことが視て取れる。特に主力の250ccモデルでの不振が顕著に視られる。 S7型では前年比で約半減して居り、深刻な業績不振の状況が覗える。 また警察庁への白バイ用500cc・KP型は昭和37年度に170台が採用決定と成り10月上旬より11月末 に掛けて完納されて居る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   こうして目黒製作所は、故村田延治が懸念して居たとおりの結末を呆気無いほどに迎えたので在った。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「カワサキ“モーターサイクルズストーリー”」小関和夫・著         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著         毎日新聞社「The Bike」より「時と人・バイク風土記(蔦森樹・編)」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)