〜メグロの履歴室〜:メグロ終焉期(12)  メグロにとって最悪な一年が暮れて、明けて昭和37年は再起を賭けたスタートで在った。未だ労働争議の余波 が残っては居たが、前年末には予てから建設を急いだ横浜新本社工場が竣工。早々に関連部署を異動して心機一転 での仕事始めとなった。だが、これが目黒製作所としての最後の正月に為ろうとは、誰も知る由は無かった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   1月29日、横浜新本社工場への部署異動がひと段落したところで目黒製作所本社を旧本社工場内塗装工場跡の 品川区大崎本町3−626に移転し、その他の旧本社工場敷地は売却先の東京日産自動車販売(株)に引き渡された。 そして横浜新本社工場での生産活動が軌道に乗った2月6日、業界関係者ならび報道関係者を横浜新工場に招待し、 竣工披露会として工場事務所内にて竣工パーティーを催行した。 翌7日には「全国メグロ会」々員を、静岡・湯河原温泉での「全国メグロ会」総会の開催と恒例の新年会の催行に 先立ち、横浜新工場に招待しての竣工披露会も催して"新生メグロ"を印象付けようと腐心したので在るが・・・ その直後、先行きを暗示するような事故が起こってしまったので在る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   3月2日、横浜新工場事務所棟のガレージに於いて、メンテナンスのために戻って在った白バイのフェルタンク からガソリンを抜く作業をして居た際、サービス課員の不注意からガソリンに引火したので在る。 瞬く間に火勢が拡がり、事務所棟内の技術部設計室、更衣室など約660m2を消失するも幸いに工場建物は延焼を 逃れて生産には支障が及ばずに済んだ。 しかし、ガレージ内に在った貴重な技術参考資料の数々や保存されて在ったメグロ第一号車なども焼失。何よりも 新車開発の要で在った設計室の資料が殆ど灰燼に帰したことはメグロにとって大きな損失で在った。 技術部の林政康は後に当時のことを、  「机に仕舞って在った設計計算資料など紙片が燃えてしまったことが一番の心残り」と、回顧して居る。 この出火事故に関して過失社員および防火責任者に対し其々就業規則に従い罰則処分とされ、消火活動功労者には 表彰を実施している。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   この不吉な出来事を何とか振り払うには低迷する業績を改善することが不可避で在った。予て防衛庁より募集の 在った、オートバイの兵器としての適応研究に供されるオートバイとしてメグロとホンダの二社2車種が選考決定 され、メグロから選定されたのは170cc:DA「レンジャー」で在った。 防衛庁はオートバイを機動性に富む防衛装備として位置付け、従来の通信伝達用途から火器装備も念頭に検討した と思われる。 3月28日に2台のDAが滝ヶ原駐屯地(静岡県御殿場)に納入され、他ホンダの2台(150cc)と共に約1年間 の適性試験(性能試験として耐久性、走行安定性、耐震性、耐寒適性など)に供された。 メグロにとっては白バイ需要に匹敵する需要が見込まれると期待した様子では在ったが、残念ながら実現には至ら なかった。 4月11日には部長会議に於いて職制変更の検討が討議され、オートバイ専業を見直して経営の多角化を図る旨、 オートバイ以外の製品受注を促進するべく第2営業部の新設を決定する。これに伴い第2営業部々長に井口工場長 (横浜本社工場)が異動して就任、自動車部品および農機具部品の下請受注に専念することとなった。 (後任工場長には次長の浜田栄司が昇格) この部署新設に拠る受注活動は次第に成果が現れるものの、折からの好況から輸入急増に拠る貿易収支の悪化事由 で政府に因る金融引締め政策への転換が図られ、その煽りで設備投資の減退に影響して受注件数が激減する不運と なり頓挫する。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   業績不振をどうにか改善しようと施策を発するも、運が無いとしか云いようのない状況に見舞われる目黒製作所 は更なる合理化策を講じるので在った。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「カワサキ“モーターサイクルズストーリー”」小関和夫・著         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著         毎日新聞社「The Bike」より「時と人・バイク風土記(蔦森樹・編)」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)