〜メグロの履歴室〜:メグロ終焉期(11)  昭和36年は労働争議に明け暮れた一年では在ったが、社業の遂行は怠り無かった。争議に因り操業停止したため に不足した運転資金と争議への対処資金を補うべく、同年4月25日に常務会を開き本社工場の売却(土地建屋共) を立案する。代わりの本社工場移転先としては昭和33年3月に事業規模拡張を目論見して得て在った横浜市港北区 東山田町の新工場建設用地を充てる事とし、売却先は内々に進められて内諾がされて在った東京日産自動車販売(株) で売却交渉は専務の鈴木高治が自ら担当する事を4月30日開催の取締役会で決定とした。同時に本社事務所の敷地 内移動(本社工場内、塗装工場敷地・品川区大崎本町3−626)も承認がされる。 6月24日には本社工場の売却が東京日産自動車販売(株)との間で売買契約が成立となって正式調印を取り交わし、 8月21日には新工場建設着工ため、横浜市港北区の現地にて地鎮祭を挙行、同12月には早くも工場棟が完成竣工 となった。労働争議が12月7日に解決を見たことから、東京の本社工場から製造部および技術部を新工場へ異動し 同月26日に完了させた。新本社工場長には井口取締役技術部長が兼務して翌27日より新本社工場での操業が開始 された。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   5月30日は定例の第42回定期株主総会に於いて、任期満了となる監査役の改選と1名の増員を議決。取締役の 渡辺英太郎を役員在籍で重任として同、告野端午を取締役辞任の上で充てる事とした。  また6月には九州地区及び山口地区の総代理店で在った、新光車両販売(株)への総出資金、1,130万円を不足 運転資金に充てるべく保有株式を全額、東急くろがね工業(株)へ売却譲渡とした。こうした努力によりどうにか資金 を確保しつつも安定した販売ができない状況下に在って、川崎航空機工業鰍ヘ業務提携の要件を早急に遂行する事を 条件に援助を提示する。予てからの課題で在った資本の減資、人員の削減、機構の簡素化、そしてメグロオートバイ の販売権移動である。 同6月、取締役会を開きこれら援助の条件を受諾する旨の議決を行い、販売代理店組織「全国メグロ会」の総会を東京 にて7月24日に開催し、8月1日よりメグロオートバイ全車種の全国総代理店として川崎航空機工業鰍フ設立した 販売会社、カワサキ自動車販売鰍ェ当たるとする議案を提議した。採決により多数の賛成を得て、期日よりカワサキ 自販を全国総代理店として各地区代理店へ卸売りが成される事となる。カワサキ自販と地区代理店間での卸値ならび 取引諸条件は、カワサキ自販をメグロが代表して行うものとして、代理店の不安を緩和する措置としたのであった。 これに合せてメグロの営業部門から8名がカワサキ自販へ転籍異動して、業務の引継ぎが遂行されたので在る。 この頃のメグロオートバイのカタログにて目黒製作所に並びカワサキ自動車販売が併記されて在るのは、このような 事情に拠って在る。  なお「全国メグロ会」の動きとしては、同1月に兵庫地区総代理店の兵庫メグロ販売鰍ェ増資を実施際に50万円の 出資を決めて総出資額を100万円とした。カワサキのお膝元とも云えるエリアでの提携強化策とも思える。また、 メグロ会の総会に於いては全国メグロ会々長の改選も行われ、前任より引き続き 山梨地区・甲信メグロ自動車(株) 取締役社長・萩原徳憲氏 の再任がされている。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   業績を視てみよう。年頭の2月より12月の妥結に掛けてが労働争議による影響が在るが、ロックアウト等による 生産不能で在った期間は数ヶ月程に留まった。会社側に友好的で在った新労組の結成と加入社員の努力により生産の 再開が迅速に進み、且つカワサキの援助(部品工程の代行引き受け)も在って主力製品の250cc・S7を主にした 出荷体制が功を奏した結果と診られる。  また500cc・K(KH)型は主要納入先となった警察庁への白バイ本採用が決定したが労働争議による影響も在り 受注225台を同年11月から翌年1月に掛けての分納入となった。これとは別途に地方警察採用としては始めての 大量受注(57台・愛知県警察本部)が決まり納入がされた。       ・昭和36年々間生産台数記録          500cc:KH型・・・・・・・・・・696台(6.09%)          325cc:YA型・・・・・・・・・・・61台(0.53%)          250cc:S7型・・・・・・・・・8401台(73.46%)          170cc:DA型・・・・・・・・・・911台(7.97%)          125cc:CA型・・・・・・・・・1367台(11.95%)          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    生産台数合計・・・・・・・・・・・11436台       ・昭和36年度白バイ採用台数記録          500cc:KP型・・・・・・・・・・225台(警察庁採用分)                  同・・・・・・・・・・・57台(愛知県警採用分)          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    採用台数合計・・・・・・・・・・・・・282台 但し労働争議による影響は大きく、総生産台数では前年より3000台ほども減らす結果となって居る。最も顕著で 在るのは125cc・CA型が1/3にまで落として居るが、生産拠点の烏山工場が当然ながら争議の混乱下では殆ど 生産が廻らなかったと推測ができる。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   漸く緒に就いた海外輸出への展開では在ったが、ここでも労働争議による影響は大きい。十分な生産計画が建てら れない状況に受注も控え目で在る。特に輸出向け主力製品の125cc・CA型が生産不能に陥って居たことは痛手 となった。結果、こちらも前年実績の1/3に落として居る。       ・昭和36年度輸出台数記録         仕向先:琉球・現、沖縄県(仲介商社:竃沢組)          500cc:KH型・・・・・・・・・・・・1台          250cc:S7型・・・・・・・・・・・21台          125cc:CA型・・・・・・・・・・133台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・155台         仕向先:シンガポール(仲介商社:竃沢組)          170cc:DA型・・・・・・・・・・・24台          125cc:CA型・・・・・・・・・・・12台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・36台         仕向先:マレーシア(仲介商社:竃沢組)          170cc:DA型・・・・・・・・・・・28台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・28台         仕向先:オランダ(仲介商社:インターナショナルマーチャンダイズ)          170cc:DA型・・・・・・・・・・・・1台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・・1台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数合計・・・・・・・・・・・・・220台  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   このような業績状況に当然のことながら配当実績は通期で欠損無配を期して居る。       ・昭和36年度配当記録          3月期決算:第41期・・・・・・・・・欠損無配          9月期決算:第42期・・・・・・・・・欠損無配 労働争議による影響結果でも在るが、提携支援を決めたカワサキ側にして視ればメグロ側の失態であり、場合に因り カワサキ側にも業績懸念が及ぶ恐れも在った。このまま業績不振が常態化する様子で在れば業務提携の代償は嵩むと 予測されてしまう。カワサキ側とすれば、速やかに本来の業務提携の趣旨であるオートバイ事業の合理化(強いては カワサキ傘下での事業化)を進める必要に迫られたと云えよう。それは亡くなった村田延治が懸念して居たカワサキ への系列化に他ならなかった。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「カワサキ“モーターサイクルズストーリー”」小関和夫・著         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著         毎日新聞社「The Bike」より「時と人・バイク風土記(蔦森樹・編)」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)