〜メグロの履歴室〜:メグロ終焉期(7)  昭和36年に入り、川崎航空機工業鰍ニ合意した業務提携の内容に沿った目黒製作所の改革が粛々と進められる中、 人員の削減に絡めた合理化案を社内労働組合側に提示、協力を求めた。しかし、メグロの業績悪化が常態化を始めた 数年前から経営側との関係が思わしくなかった労働組合側は、即時に難色を示した。そして同年2月、春闘に絡めた 活動として、労働組合の上部団体で在った総評・全国金属労連の後押しを受けるかたちで経営側に対し一律4千円の 賃金ベースアップを要求したのである。  当時の経済水準から見ても、また当然ながらメグロの経営状況からして全くナンセンスな要求と云わざるを得ない ことで在った。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   経営側は要求に対し、経営状況悪化の中、立案中の会社再建案が提示できるまでの間、回答は延期する旨を労組側 に通告する。この経営側の姿勢に労組側は反発を強めて実力行使に出た。  まず経営側の不誠実を盾にストライキ権を確立し、部分ストに時限スト、また怠業行為(出張、残業の拒否等)を 波状的に行使。烏山工場においては2月24日より毎日1時間の時限ストを行使して、メグロの主力商品250cc モデルの組立ラインに支障する作戦に入った。  経営側も事態解消を図るべく団体交渉の場を設けたが、労組側はベア回答を譲らず事態が深刻化していった。烏山 工場労組は2月28日より戦略を強化、250ccモデルの組立ラインにおいて数回に亘って72時間ストを仕掛けて、 完全に生産工程を混乱させたのである。経営側も会社の混乱を放置できず、烏山工場の250ccモデル組立ラインに ロックアウト宣言を出してストを行使して居る労組側従業員の排除に当たるが、職場は占拠された状況が続いた。  この異常な混乱に従業員の中にも疑問や反感を抱く者が現れ、労組側従業員の内、約半数が労組を脱退して経営側 と真摯な関係を再建するべく新たな労働組合を結成する。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   同年3月3日までに計5回に亘って団体交渉を諮った末、3月6日に漸く経営側は会社再建案を提示する。今次の ベアには一切応じないとして、合理化案に沿った人員削減を76名整理とする旨、労組側に対し協議に応じるよう求 めた。これに対して旧労組側は激化して反発、協議を拒否すると共に3月8日より24時間の全面ストライキに突入 すると宣言したことで、経営側は対抗処置として旧労組加入の全従業員に対し社外への強制退出を命令通告して全面 ロックアウトを行使した。  旧労組側は本社工場と烏山工場に立て篭もり、占拠して全ての入場口に障害物を置きバリケードを構築。経営側は 基より旧労組加入の従業員以外の出社入場を阻止して就業不能に追い込んだので在る。この労使対決と云う最悪事態 にメグロの生産活動は完全に麻痺したので在った。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「カワサキ“モーターサイクルズストーリー”」小関和夫・著         山海堂「W1 FILE〜MEGURO'60−KAWASAKI'73」蔦森樹・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)