〜メグロの履歴室〜:メグロ終焉期(3)  伸び悩む国内での営業実績を補うべく、新モデル投入に併せて展開した海外輸出の強化が漸く現実的なものと成り 約700台もの実績を得るまでに在った。これは目黒製作所も加盟する小型自動車工業会を主催として東南アジアへ 行った海外宣伝隊による効果が現れたと診ても良いだろう。       ・昭和35年度輸出台数記録         仕向先:琉球・現、沖縄県(仲介商社:竃沢組)          325cc:YA型・・・・・・・・・・・・1台          250cc:S5型・・・・・・・・・・・15台          125cc:CA型・・・・・・・・・・205台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・221台         仕向先:シンガポール(仲介商社:竃沢組)          250cc:S7型・・・・・・・・・・・・2台          170cc:DA型・・・・・・・・・・・23台          125cc:CA型・・・・・・・・・・156台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・181台         仕向先:マレーシア(仲介商社:竃沢組)          250cc:S7型・・・・・・・・・・・・5台          125cc:CA型・・・・・・・・・・・28台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・33台         仕向先:マレーシア(仲介商社:大阪鋼材梶j          125cc:CA型・・・・・・・・・・・・2台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・・2台         仕向先:マレーシア(仲介商社:三井物産梶j          125cc:CA型・・・・・・・・・・・10台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・10台         仕向先:台湾(仲介商社:丸紅飯田梶j          325cc:YA型・・・・・・・・・・・・3台          250cc:S7型・・・・・・・・・・・16台          170cc:DA型・・・・・・・・・・・10台          125cc:CA型・・・・・・・・・・110台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・139台         仕向先:タイ(仲介商社:丸紅飯田梶j          325cc:YA型・・・・・・・・・・・・1台          250cc:S7型・・・・・・・・・・・・1台          170cc:DA型・・・・・・・・・・・・4台          125cc:CA型・・・・・・・・・・・28台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・34台         仕向先:パキスタン(仲介商社:丸紅飯田梶j          170cc:DA型・・・・・・・・・・・76台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数・・・・・・・・・・・・・・・・76台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    輸出台数合計・・・・・・・・・・・・・696台 そして小型自動車工業会は、今度は日系人も多く在留する中南米エリアに向けてアピールする海外宣伝隊を再び編成 することになった。 昭和35年2月にメグロ他6社によるキャラバン隊が結成されてメキシコに向け出発。メグロは新たなユーザー層を 掴み易いとして敢えてOHC機関モデルの325cc・YAによる参加で在る。キャラバン隊はメキシコより南下して 太平洋岸諸国の主要都市を歴訪宣伝して廻り、約60日を掛けてベネズエラに到着。 無事に完走して目的を達した一行は同4月に帰国して居る。 この頃からメグロの商品パンフレットは英文版の用意をして海外での販売促進に備えると同時に国内用パンフレット にもアルファベットやカタカナでの表現を多用して若者向きにアピールするべくイメージ転換が図られたので在る。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   また主要な取引先でも在る警察庁への白バイ納入は専用機種とも云える、新500cc クラスのOHV二気筒仕様 モデル・KHの完成を受け、量産開始に先駆けて165台の採用が決定する。ただ本来で在れば一括納入が基本となる が、量産開始直後と云うことで在ろうか同年内に30台の納入を先行して、残り135台は翌36年1〜2月で分納と された。(※地方警察本部裁量台数省く)       ・昭和35年度白バイ採用台数記録          500cc:KP型・・・・・・・・・・165台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    採用台数合計・・・・・・・・・・・・・165台  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−    販売代理店組織「メグロ会」においては、昭和35年には以下のような異動が生じている。 ・「メグロ会」会員の動向(昭和35年)    (解約)    岩手地区・・・・・・・・・・・・(株)藤健商会    秋田地区・・・・・・・・・・・・田原商会  これに伴い各地区の販売サービス拠点を維持するべく新たに販売会社を設立し、其々に100万円を資本金として 出資して居る。    (新設)    岩手地区・・・・・・・・・・・・岩手メグロ販売(株)・1月設立    秋田地区・・・・・・・・・・・・秋田メグロ販売(株)・2月設立  また九州・山口地区の新光車両販売(株)が4月に増資を実施、これに対し目黒製作所は昭和32年の増資協力に同額 の500万円を出資、総出資額を1,130万円とした。 販売重視による有力代理店への手厚い経営協力の反面、メグロに見切りを付けた代理店も目立つ様相はもはやメグロ の営業不振が隠しようの無い状況にまで悪化して居ることを物語っていた。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)