〜メグロの履歴室〜:メグロ終焉期(2)  昭和35年1月、前年に新型OHC車の販売不振を受けて急遽用意された250cc・ジュニアS5の発展的改良車 250cc・ジュニアS7が完成、販売を開始する。S7はS5のアンバランスさを是正しつつもOHC車のF型意匠 を踏襲し、ジュニアシリーズ初のスイングアーム懸架を採用してスポーツ性をアピール。機関は従来からのユーザー 嗜好を重視してS5のK3型:単気筒OHV4サイクルを搭載。更に同7月には時流に合せてセルモーターの搭載改良を 実施して電装系を全面見直して12v 仕様とした。これが結果的には使い勝手が良くなりOHC車不振で懸念された ユーザー離れを払拭することに成功する。メグロにとってはS3、Z7以来のヒットモデルに成長するので在るが、 まともに売れる商品はこれだけで在った。 同じくOHC車不振を挽回するべく用意された125cc・CAキャデットが同1月より市販される。不評のOHC車 E3の意匠を踏襲しつつこちらも扱いなれたOHV機関に戻し、しかしタペット自動調整装置を新規開発して採用し セルモーターを搭載した12v電装と、メグロの小型車として漸く完成の域に達した感の在るモデルとなった。前年 の全日本自動車ショーに発表以来、前評判も良く期待されただけに売れ行きも順調に推移した。 これに欲してか同7月にCAのボアアップ仕様とした170cc・DAレンジャーを発表、スポーティーさをアピール するがCA程には支持を得るには至らないまま推移する。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   第7回全日本自動車ショーの出展に合せて、10月には同年の目玉商品と期待された新500cc クラスのOHV 二気筒仕様モデル・KHが完成、前モデルの単気筒・Z7を踏襲して"スタミナ"の愛称を引き継いだ。市販形式はK (或いは1K)とされ、これとは別にショーモデル用にスポーツ仕様・メグロ スタミナスポーツKSを試作。 KSはメグロのスポーツモデルを主張する広告塔と成るべく世界水準の性能と装備を付加されてメグロの展示ブース のトップを飾ったので在る。外観はまさに日本版カフェレーサーとも云えるもので紅白カラーの意匠に誰もが驚き、 且つ羨望の眼差しを向けた。そして当時の専門雑誌はショー特別号の表紙にカラーで写真を掲載したので在る。 この写真にはもう一台、メグロらしからぬモペットが並んで写って居る。それがメグロ初の50ccにして2サイクル 仕様のモペットモデル・MAアミカで在った。 アミカはまさに新しいメグロを思わせるヨーロピアンスタイルのライトモペットとして企画・開発が進められてきた。 趣味性を重視したスポーツ仕様で、かつ軽快でスマートな形態をコンセプトに、250cc・F型の開発以来、ニュー メグロスタイルの確立を主導的に薦めていたインダストリアルデザイナーの由良玲吉氏を再度起用し、国産モペット にはない特徴的なモペットの開発を目指した意欲作で在った。 6月から試作を開始、直後より完成した専用ラインを使って量産試作100台余りを製造して公開に備える周到さで 在った。姿を現したこの新型モペットは、公開されるや評判となり注目を浴びることになる。 自動車ショーでの評判を受けて早々に、用意されて在ったこの量産試作車は全国の総代理店組織「メグロ会」の加盟店 へと貸与されて、各地で展示会や発表会が実施されて関心を集めたので在る。       ・昭和35年々間生産台数記録          500cc:Z7型・・・・・・・・・・370台(2.59%)          500cc:KH型・・・・・・・・・・・68台(0.48%)          325cc:YA型・・・・・・・・・・250台(1.74%)          250cc:S5型・・・・・・・・・1067台(7.46%) ※記録上のみ?          250cc:S7型・・・・・・・・・7836台(54.77%)          250cc:F型・・・・・・・・・・・150台(1.05%)          170cc:DA型・・・・・・・・・・119台(0.83%)          125cc:E3型・・・・・・・・・・・50台(0.35%)          125cc:CA型・・・・・・・・・4379台(30.73%)          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    生産台数合計・・・・・・・・・・・14307台       ・MAアミカ 試作生産台数記録          50cc:MAS型・・・・・・・・・・100台  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   これで前年に起死回生として温めて在った期待の小型車モデルと250cc中堅モデルが一応の成功を見て、そして 新たに加わった新500cc モデル・KHとメグロ初の2サイクルモデル・MAを揃え、新型OHC車の販売不振で 一度は失墜したスポーツモデルへの転換方針が建て直しできたので在るが、経営的には状況をOHC車以前に戻した までに他ならず、そのOHC車に投資された損失が未だ足枷として残ったままなので在った。 自動車ショーでの新モデルへの高評価に業界関係者は、これでメグロが再起できるのでは、と確信したかに思えたの だが、その裏では経営の進め方を巡る協議が取引銀行を中心に密かに進んで居たので在る。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)