〜メグロの履歴室〜:メグロ激動期(6)  昭和34年になり、国内景気の活発化は更に拍車が掛かり以降、同39年の東京オリンピックから45年の大阪万博に 至る、所謂「高度成長期」のスタートとも云える年であった。  バイク業界においては熾烈な生き残りを掛けた販売競争となり、特に前年にデビューしたホンダ・スーパーカブの影響 ではモペットブームが起こっていた。加えてオートバイは耐久性よりむしろスピードを強調した高性能化を宣伝の主眼と するのが一般的になった。これには取りも直さず浅間火山レースの影響が少なからず在り前年8月に初めてアサマで開催 されたアマチュアモーターレース「第1回全日本クラブマンレース」によりモータースポーツ熱が高まり、上位に在った ヤマハ・スズキ・トーハツなど新興メーカーはスポーツ性を強烈にアピールしていた。  一方では見た目も重要なセールスポイントになっていた。各メーカーはデザイン性にも重きを置き、自社デザイン或い は外部デザイナーの起用によりスマートで斬新なモデルが次々と発表されていった。宣伝手法も従来のチラシや雑誌広告 に商品を剥き出してアピールする内容から、イメージキャラクターとして映画やテレビで人気の俳優や野球のスター選手 を起用するなど派手な内容へと変化していた。  メグロも例外なく、そうした時代の流行に合わせた企業活動をするのだが、いまひとつ更なる業績向上には結び付か ない状況に在った。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   5月30日、定期株主総会を開き取締役1名の増員と任期満了に伴う監査役の改選を行い、次の通り選任されている。   取締役 萩原徳憲 (全国メグロ会々長)   監査役 渡辺英太郎 (新任) ※取締役増員は前年に死去した田村亀三郎の後任として、任期は他取締役の残期までとされた。 また8月6日には取締役会を開き、1億2000万円(240万株)の増資を決定している。払込期日は同12月1日 とし、これにより資本金総額は3億円とした。増資の内容は株主割当に216万株(6割増)1株・50円で有償された。 残り24万株は一般公募に当てられ公募価格は1株・160円で在った。  これらの施策はひとつに販売網の更なる強化によってオートバイメーカーとしての生き残りに賭けての事と観ることが できる。補填役員とは云え、取締役に販売網組織の会長を充て、商品企画に参加できる状況に置いて売れるオートバイの 開発を目論んだとも思われる。また増資により(見た目の)資本力が増し、不信が続く125cc・E3と、250cc・F のOHCエンジン車の設備投資赤字を払拭する狙いが在ったのは間違いないだろう。  しかしながら、こうした経営施策は従来「石橋を叩いて渡る」くらいに慎重であったのが、ややもすると販売優先の 施策に陥りがちとなって現場を混乱させる要因に成りはじめてもいた。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)