〜メグロの履歴室〜:メグロ激動期(4)  昭和33年はメグロにとって販売戦略の転換点となった年でも在った。 販売代理店組織「メグロ会」は創立十周年の節目に当たり、同年10月11日東京第一ホテルに於いて記念式を催行している。 式には会員販売店関係者に加え、業界・報道関係者ならびに目黒製作所の役員と営業担当が招待されて居り、会員への 功労者表彰に続き目黒製作所へ記念品が贈呈され祝宴が催された。 「メグロ会」においては、昭和33年には以下のような異動が生じている。 ・「メグロ会」会員の動向(昭和33年)    (解約)                          (新設)    千葉地区・・・・・・・・・・・・(株)千葉メグロ自動車商会        千葉・茨城地区・・・・・・・千葉メグロ販売(株)    茨城地区・・・・・・・・・・・・(株)茨城メグロ自動車商会        青森地区・・・・・・・・・・・・(有)石郷岡自動車商会                                   広島地区・・・・・・・・・・・・(株)島村モータース    (社名・組織変更)    埼玉地区・・・・・・・・・・・・三共自動車(株)よりメグロ販売部門が分離独立              →埼玉メグロ販売(株)設立    福井地区・・・・・・・・・・・・前田モータース              →福井メグロ販売(株)  千葉メグロ販売(株)の設立に際して目黒製作所は10月に150万円を資本出資している。メグロは他社併売または 独立資本のディーラーからメグロ専売かつ資本提携できるディーラーに切り替えることで顧客のつなぎ止めとメグロ 自身によるセールスアピールの強化を進めている。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   加えて販売価格の全国統一化と公示価格制を導入し、ディーラー裁量による不公正感を払拭させて顧客本位の販売 体制に整えたのである。 従来、販売店への工場出し価格は非公開であった。このため実売価格は原価を知る販売店の裁量で決められてしまう ために店ごとでまちまちになり、これが販売店間の価格差や廉売競争と云った弊害にもなって居た。  そこでオートバイ業界としては、こうした不公正の是正を求める市場の要望を盛り込み国内全メーカーに対し全国 統一価格制度の導入を提唱、販売店への実施協力が数年来より求められていた。  そこでメグロでは、6月17日に熱海にて催行された全国「メグロ会」定期総会に於いて漸く合議が成り、制度の実施と 全国統一価格の公示が決定・実施された。この制度はほぼ同時期に他メーカーも追随実施されて、今に残るメーカー では現在まで引続き採用がされて居る。但し北海道や離島地域(後に沖縄を含む)に対しては工場出荷での運送費が 加算されるために割増価格が別途公示されるのが慣例となったが、これも現在までメーカーが適用している。  顧客は実売価格を知ることになり、これを参考に商品を選ぶことが可能となったが、メーカー間の価格差、性能差 による競争が新たに起こり、結果として魅力の無いメーカーが駆逐されることを助長したのである。 陸王号で知られた陸王モーターサイクルもその1社であった。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)