〜メグロの履歴室〜:メグロ激動期(3)  昭和33年8月、一台の誰も今まで見たことが無い二輪車が現れた。これが現在世界最多の累計生産台数を記録更新 し続けている「スーパーカブ」である。  遡ること昭和31年、小型二輪車では既にトップメーカーの地位に在った本田技研工業だったがその商品群は実用車 を主体としたベンリイ・ドリームの各シリーズ車数種でしかなかった。そのために追随する他社のライバル車との市場 占有争いでは劣勢に回る情勢に在った。その中、社長・本田宗一郎と常務・藤澤武夫は幾度目かの欧州視察に飛ぶ。  日本小型自動車工業会による欧州の原付バイク事情調査への参加で在ったがホンダにとっては目指すべき次期モデル を模索することが目的でも在った。が、思うようにイメージが湧かない。 街中で見かける小型バイクの多くが現地で流行していたモペッドと呼ぶペダル付きの原付バイクであったがそれは日本 でのバイク=実用車では無くお洒落な乗り物と云う感覚で在った。 これではそのまま日本に持ち込んでも売れそうに無いな、と。  帰国の機上で藤澤武夫は宗一郎に「月産1万台が売れるバイクが作れるか」と嗾けた。 負けず嫌いな宗一郎である。「もちろん作ってみせる!」  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   すぐさま宗一郎はプロジェクトを立ち上げ自らアイデアを練り万人が欲するバイクの構想を形造って行った。そして 行き着いたのが蕎麦屋の出前に使うバイクと云うイメージで在った。オートバイでは出前に使えないが、出前に用いら れるような乗り物ならば自転車に替えてでも使ってもらえるではないか。  そして1年8ヶ月の成果として登場した「スーパーカブ・C100」はオートバイでもモペッドでも、そしてスクーター でも無い全く新しい二輪車であった。  蕎麦屋の出前なら片手で操縦出来なければ使えない。そこでクラッチレバーを操作しないでも変速が出来る自動遠心 クラッチを開発採用した。従来の変速機構ではリターン式でもロータリー式であってもクラッチ操作を要したがそれが 不要になった。変速ペダルを前後に踏み込めばクラッチが連動する仕掛けであった。  またエンジンには当時小型バイクの主流で在った2スト機関ではなく排気容量50ccながら4スト機関を新たに開発 し完成させた。このことが音が静かで住宅地や早朝でも迷惑にならないことから新聞や牛乳、後に郵便など配達需要を 起こした。そしてこのエンジンこそが後にホンダを世界的メーカーへと飛躍させる原動力ともなる。  そして何より大衆の目を引いたのがバイクでもスクーターでもない斬新な形態で在った。安定走行のため特別に用意 された17インチの大径車輪ながら、スクーターのように足を揃えられる低床バックボーンフレームに腰掛型サドル。 当時まだ多かった未舗装路での飛び石や泥跳ねを防ぐ樹脂製のレッグシールドを装備。外装部材への樹脂部品多用など。  従来からの原動機付き自転車より扱い易く、スクーターより乗り心地も良いこの原付二輪車が5万5000円と当時 の性能としては低価格な設定で在ったことも驚きをもって注目された。  販売に先だち完成した試作車は、見るなり藤澤武夫に「月産1万台どころか3万台は行ける!」と言わしめた逸話が 有名であるが、実際に月産3万台で準備された生産ラインはそれでも次第にオーバーワークとなり販売に追い着かない 事態となる。無理も無いことで今までバイクを使うなど思いも因らなかった配達需要に火が付き自転車ユーザーが乗り 換えたので在った。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   一方、メグロには直接に影響が在ったとは云い難い。スーパーカブは殆ど未開のユーザーを掘り起したと云える。 事実、メグロの年間実績では市場を奪われるような状況になっては居ない。しかしそのことがメグロにとっては致命的 で在ったかもしれない。  既に頭打ちである実用二輪車の需要を拡大するにはスーパーカブが掘り起こした未開の新規ユーザーが必要だったの である。最後に残って居たであろう配達などの商用自転車ユーザーを、メグロや他の実用二輪車メーカーは取りこぼし たのである。以後、「スーパーカブ」はビジネスバイクの代名詞となって行った。  このときを境に本田技研は二輪車メーカーとして一人勝ちの様相を呈し、一方独自性を打ち出せない実用二輪車は徐々 にジリ貧となって行くので在る。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         三樹書房「ホンダスーパーカブ“世界がホンダに恋をした”」編集部・編  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)