〜メグロの履歴室〜:メグロ激動期(1)  昭和33年から34年にかけては、昭和と云う時代を代表するような頃であった。明仁親王(現・今上天皇)の婚約 発表からご成婚までの間は日本国内が祝賀ムードでいっぱいとなり、東京タワーの完成はいよいよテレビ放送の本格化を 実感させる出来事でもあった。伴い国内景気も活発化し「岩戸景気」と呼ばれる好景気となってゆくが物価も上昇。初の 1万円紙幣が発行されたのもこの年であった。  バイク業界でも契機と観て次々と新車を発表していった。が、しかし以前のように「出せば売れる」と云う良き時代 ではもはや無かったのである。それは消費者が選択する時代。選ばれたモノが生き残り、売れなければ淘汰される過酷な 時代でもあった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   目黒製作所は前年開催されて好成績でファンを沸かした第2回浅間火山レースを好機と見て、予てより計画されていた 新製品の販売計画を一気に展開する。レースで結果を出すことができたOHCエンジンを市販車の仕様に取入れた一連の 新シリーズがそれである。レース用マシンとほぼ平行して開発が進められた125ccおよび250ccの各新車は、33年 6月に125cc・E3が、7月には250cc・Fが相次いで発表されたのであった。  これらOHCエンジン仕様による新シリーズは従来車とは異なる工程が多く、専用の製造ラインが周到な準備の下設備 投下されてあったのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   3月27日、取締役会を開き80万株(4000万円)の増資を議決。内訳は半分の40万株を株主割当とし1株50 円の有償配布とした。残り40万株は関連取引先に対し公募を呼び掛け、販売代理店割当35万株、部品仕入先および 下請け企業割当5万株として資金に当てた。更には新シリーズ発表後の8月28日に取締役会を開催し6000万円の 更なる増資を議決する。株主2株当り1株を有償配布とした。この2度に渡る増資によって資本金を1億8000万円と したのである。その背景には同8月、折から好調な業績の下、株式の店頭取引を開始したことにある。後に東京証券取引所 2部上場となるが、これに備えての増資でもあり尚且つその上市の目的にあったのは新シリーズに関する設備投資であった と云える。  同3月、事業の拡大を見越して将来的設備拡張に備えるべく横浜市港北区東山田町(現・横浜市都筑区)に土地約2万m2 (6千坪)を確保。大崎本社・烏山に次ぐ新工場建設用地として早々9月には地鎮祭を執り行い整地工事に入る。 本来メグロにとって希望の土地となる筈であったが皮肉にも後にこの地がメグロ終焉の場所となるとは思いも掛けて居ない のだった。社外に於いても協力工場への出資増強が成され、第一鍛造(株)増資に対し10万円が追加出資されている。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   会社規模の拡大に併せ、遡り3月7日開催の臨時株主総会に於いて定款を改定し決算期日を年1回から2回として其々 3月末日と9月末日とした。また5月27日の定期株主総会に於いては取締役及び監査役の再任と取締役2名の増員を議決 して体制を整えたのであった。(・取締役 田村亀三郎、同 小山利男)  *田村亀三郎は就任直後より体調がすぐれず同9月6日に急逝。11日社葬が執り行われた。 人事面では井口取締役を烏山工場長より本社・技術部長に異動。替わり村田取締役を烏山工場次長より工場長昇格とした。  好調な業績を背景に従業員の意識にも変化が現れる。従来より労働組合活動は活発ではあったが、どちらかと云えば労使 協調的なものであった。ところが業績に比べ賃金面で劣る状況が表面化すると企業内の独立労組では発言力が弱いとして、 大崎本社工場及び烏山工場の労働組合連合会は全国労組への加盟を含め経営側との労働協約締結交渉に臨み、同2月より 二十数回にも及ぶ協議により6月4日締結調印が成る。これに伴い早々総評系全国金属労働組合に加盟が成ったのであるが これを境に労使の関係は協調から対立へと変化して行き、やがて大きな溝となり後にメグロの運命を決定付けるのである。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)