〜メグロの履歴室〜:第2回浅間火山レース(2)  昭和32年初秋、浅間高原自動車テストコースの完成により漸く第2回目の開催に目途が着いた全日本オートバイ 耐久ロードレースは10月の開催が決まり、名称も「浅間火山レース」と改められた。参加メーカー各社はレーサー マシン開発とチーム編成に追われ、ある程度整ったチームから現地入りして走行練習とマシン調整を始めていた。  メグロチームもメンバーが揃うと早々に現地に拠点を設けて第1回のレースに用いたマシンを使って走行練習を 開始したのである。コースへの入り口にあたる群馬県北軽井沢の旅館・百楽荘を宿舎に構え、その手前辺りにマシン の整備とレース対処用修理拠点として仮設工場(浅間工場)を借り、レーサーメンバーおよび大崎の本社より技術陣 からワークスマシンメカニックの総勢20名余りが常時詰めていた。やがて第2回用のワークスマシンが完成すると 東京からトラックで浅間工場に運びこまれる。荒削りの新ワークスマシンの為にメカニックが入れ替わりで東京と 北軽井沢を往復して手直しや改造に追われたのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  日中は朝から会場となるテストコースへ向かって参加メーカー各社のレーサーマシンが其々特徴の在るエキゾースト ノイズを響かせながら火山礫で荒れた上り道を駆け上がって行く。メグロ以外のメーカーも近所に宿舎や拠点を構え ているので、聞こえてくるマシンの音で何処のメーカーが練習に向かったかを知るのであった。  テストコースへの道は当然ながら公道であるがレーサーマシンにライセンスプレートは無く謂わば黙認で走らせて いた。火山礫と荒い轍に転倒しそうになりつつテストコースに入ると同じ火山礫のダートコースとは云えテストコース として整備された路面は走らせ易かったと云う。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  メグロチームでは走行練習を第1回のレースに用いたSOHCによるベベルギヤシャフト式のRZBで行っていたが高馬力 の割りに素材の耐久性に難点があった。ある日の走行練習では好調にエンジンを回し加速した勢いベベルギヤシャフト が競り上がってエンジンヘッドごと持ち上げてしまうアクシデントもあったと云う。つまりはマシンの限界まで性能 を引き出せるコースであったことを裏付けると共に高馬力で耐久性に優れるマシンに有利なスピードコースであった 云えよう。本番用のDOHCによる新設計500ccマシン"RZ"で走行練習を行ったチームメンバーの折懸六三は「高馬力で 耐久性も向上して居りチームメンバーの信頼も厚かった。」と回想している。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  夕刻に走行練習を終えると各社のレーサーマシンは朝とは異なり下り坂を利用して絶気で転がし各拠点へと帰って 行く。ライダーがその日の走行練習状況をメカニックに報告すると、今度は徹夜でメカニックによる手直しと整備が 成され翌朝に備えるのである。  RZのエンジンヘッドは油冷効率を高めるために容量を大きくしてあったが、エンジンオイルには焼き付きを防ぐ 効果から他のメーカーによる4stマシンがそうであったようにひまし油を用いていた。そのためにシール性の弱い メグロのエンジンでは隙間からの漏油がひどく、これにコースで巻き上げた砂塵が巻付いてエンジンの熱で焼付くと 焼き物の如くこびり付いて取れなくなった。ライダーは帰着するとすぐさまマシンを洗車してメカニックに預けた。  夜中の仮設工場は戦場のようであったと云う。壊れた部品を交換し無い部分はその場で作る繰り返し。それでも 対処できない時にはメカニックが昼夜を問わずバイクで東京まで向かった。今のような高速道路は無く舗装された 国道すら少なかった時代である。  その内に近隣に拠点を構えるメーカーのメカニック同士で工具や部品を融通し合うようになり、困難に行き詰ると 所属メーカーに関係なく集まり協力して解決することもあったと云われる。メーカー対抗によるロードレースでは あるが、今では想像のできない大らかな時代の一面を垣間見ると同時に、国産オートバイの振興と技術向上を目的 としたロードレースの趣旨に協力して成功させようとした努力の現われであったのかもしれない。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         八重洲出版「オールド・タイマー」平成18年4月号記事         遊風社「バイカーズステーション」平成8年12月号記事より、                              「無事、これ名人。黄色の工場レーサー その2」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         三栄書房「月刊モーターファン」昭和32年12月号記事         三栄書房「サーキット燦々」大久保力・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)