〜メグロの履歴室〜:メグロ絶頂期(8)  昭和32年に入っても好調に業績が推移していたメグロ250「ジュニア」とメグロ500「スタミナ」。特にS3 は販売代理店から続々と入る注文にまったく追いつかない程の人気となっていた。その状況はメグロの年間総生産台数 の数字からも明らかに見て取れる。       ・昭和32年々間生産台数記録          650cc:T2型・・・・・・・・・・169台          500cc:Z7型・・・・・・・・・1164台          350cc:Y2型・・・・・・・・・・600台          250cc:S3型・・・・・・・・・9254台          125cc:E1型・・・・・・・・・・745台          125cc:E2型・・・・・・・・・1187台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    生産台数合計・・・・・・・・・・・13119台  実にS3だけで9000台を超える勢いとなり、もはや「ジュニア」の業績が会社を左右しかねない状態であった。 このことは、もし「ジュニア」の業績に急激な異変があれば大変な事態となることは容易に認識できたであろうし、実際 各車種のモデルチェンジを実施するなどのてこ入れによって「ジュニア」の比率を下げられるよう各クラスの業績向上に も努力の様子が観られる。が、しかし後々この構図は容易に改善されず結果的にはメグロ終焉の頃まで半ば固定化されて しまったのであった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   今ひとつ、「スタミナ」も同様に好業績が続き上記の通り大型バイクとしては空前の生産台数1000台/年間を記録 するに至っていた。ただ、これには「ジュニア」とは異なる要因があったと考えられよう。前年にメグロと並び大型車を 主力としていた「キャブトン」ブランドのみづほ自動車製作所が倒産して、同クラスである「スタミナ」の評判にも乗り そのユーザーが移って来ていたと思われる。更に「スタミナ」には白バイ需要と云う追い風があった。この年の警察庁の 白バイ採用計画では、一方の白バイ供給元メーカーであった陸王モーターサイクルとの採用比率が3対1と初めて陸王号 を上回った。実に73台のZ7Pが生産されたのである。 白バイ供給元メーカーが目黒製作所に移行した要因とされるのは、ひとつに品質が上げられるのは当然ではあるだろうが 当時の社会状況、特に道路行政との関わりが最大の理由とも云える。戦後の混乱期から復興期を終え高度成長期に差掛る この時代、産業の隆盛と建築ラッシュ、流通の激増により道路交通は特に都市圏を中心に自動車が激増していた。また、 通行車両の様子も様変わりし、バーハンドルの三輪バイクか偶にしか通らない外国製乗用車が占めていた通りにはキャブ が付いたオート三輪貨物車とノックダウン生産された小型国産外国車が引っ切り無しに走りオートバイも自転車バイクは すっかり陰を潜めて小型でスピードの出る高性能バイクが流行り始めていた。今まで陸王号で十分であったパトロールや 取り締まりと云った業務は加速と小回りが利く小型自動車や小型バイクを前にやがて時代遅れとなっていたのである。 陸王号より軽量かつ加速性、高速性で満足の良く白バイ適合車としてZ7Pは小型とは云え単気筒4サイクル500cc、風格 (白バイには或る種の威圧的な風格が要件でもあった)も十分であった。 だが「スタミナ」の幸運もそこまでであったと云えよう。この年、大阪で一台の三輪貨物自動車が誕生する。「ミゼット」 と命名された2サイクル250ccエンジンを載せるオート三輪が、やがて強力なライバルとして「スタミナ」の、そして メグロの業績に暗雲をもたらすことになるのであった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   一方では性能改良に必要な研究開発も地道に進められていた。シリンダーブロックなど摺動部に使われる鋳鉄ではその 摺動面に特殊加工を施して対磨耗対策が必要であるが、品質や加工性(歩留まり)の良さ、放熱特性との兼ね合いなどから 高価なプロセスが用いられていた。 目黒製作所は、金属材料の基礎研究で戦前より知られていた東北大学金属材料研究所に於いて、本間正雄博士の基礎研究 による強靱鋳鉄製造法が在ることを知る。耐熱性・耐摩耗性が著しく向上し肉厚変化による硬度差が非常に少ないと云う 特徴から、エンジンのシリンダーブロックに活用できるのではと目黒製作所社長・村田延治は考えたのである。 メグロによる数々の技術開発の中で、エンジンの耐久性向上とコストダウンは重要かつ目的に適した研究と位置付け、本間 博士にこの強靱鋳鉄製造法を用いたシリンダーブロックを開発するべく産学共同による特別な指導を嘱託したのである。 そして鋳造部品製造子会社の(株)目黒合金鋳造所にて強靱鋳鉄製造法による鋳鉄シリンダーブロックの開発を完成させる ことに成功、早速これをエンジン部品製造に使用したのである。 「センダイトメタルプロセス」と云う新製造法によるエンジンは、モデルチェンジに合わせE2「レジナ」、Y2「レックス」 そしてT2「セニア」に採用。S3「ジュニア」とZ7「スタミナ」に対しても順次新製造法に切り替えられた。 メグロ全モデルの「センダイトメタルプロセス」採用は性能面と品質面でアピールされ事実、適用以前と以後では明らか に機関の耐久性が向上したのである。ここでも論理と計算により導かれる技術開発へと改められつつある状況が伺えるの である。 これ以後メグロでは新車種全てに同プロセスによるエンジンが搭載され続けられる。後に目黒製作所終焉によりブランド を引き継いだ川崎航空機でもメグロについては250cc・SGそして500cc・K2に於いてその技術は継承され続け、 メグロ系統最後の機種となるRS650(W3)まで、実に17年間にわたり採用されたのであった。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)