〜メグロの履歴室〜:メグロ絶頂期(6)  目黒製作所の主力商品となっていたメグロ250「ジュニア」の業績が好調の伸びを示し、特にS2からS3に改良 されてからは驚異的な売れ行きであった。一方、看板商品のメグロ500もZ6からの改良モデルZ7の発表に合わせた 命名キャンペーンが好評でメグロの知名度をいやが上にも高める結果となっていた。もはや日本国内でメグロオートバイ を知らない人は稀であったとしても過言ではない程であった。  そのような状況の昭和31年5月25日、第33回定期株主総会に於いて増資の決議が成される。その内容としては、 ・従来からの制度である業績比例再評価積立金より1000万円を資本金に繰り入れとし、増資株は株主に無償交付と  する。(繰り入れ期日は6月) ・更に株主割当による2000万円の有償増資も併せて実施する。(同、払い込み期日は6月) この決議により増資後の資本金総額は8000万円としたのである。増資の主たる目的が生産設備の増強であったことは 云うまでも無い。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   早々生産設備への投資が図られた。目黒製作所が出資する系列会社、メグロ鍛造鰍ノ対し更なる増資を行い、その内 資本金334万円を6月に目黒製作所から出資するかたちで資本金総額を600万円とさせたのである。なおメグロ鍛造 の代表取締役社長は、目黒製作所 常務取締役であった鈴木武雄が兼務していた。  続いて本社工場の工程合理化として塗装工程の分離による自主的経営化を図り、目黒製作所が出資する系列会社として 10月に目黒塗装工業鰍新たに発足。資本金は100万円とし、塗装工程での従業員約30名が転籍となった。また、 工場及び設備一式は本社工場内より移設せず据え置きとして目黒製作所の賃貸としたのであった。       ・昭和31年々間生産台数記録          650cc:T1型・・・・・・・・・・262台          500cc:Z6型・・・・・・・・・・180台          500cc:Z7型・・・・・・・・・・942台          350cc:Y型・・・・・・・・・・・570台          250cc:S2型・・・・・・・・・1170台          250cc:S3型・・・・・・・・・5462台          125cc:E1型・・・・・・・・・1800台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    生産台数合計・・・・・・・・・・・10386台  500ccクラスは年間生産1000台を超え、メグロの主力商品250ccクラスも新型S3だけで早くも5000台を 突破する勢いとなり、この年メグロは創業以来初めてオートバイ生産台数10000台に達し国内有数のメーカーとして 広く知られる存在になっていたのであった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   販売代理店組織「メグロ会」においては、昭和31年には以下のような異動が生じている。 ・「メグロ会」会員の動向(昭和31年)    (解約)                           (新設)    徳島地区・・・・・・・・・・・・旭自動車(株)               富山・石川地区・・・・・・・北映メグロ販売(株)    (社名変更)    栃木地区・・・・・・・・・・・・渡徳モーター商会              →(有)渡徳メグロ商会    (移譲)    九州・山口地区・・・・・・・新出光(株)より車両販売部門が分離・独立              →新光車両販売(株)を設立  新光車両販売(株)の設立にあたり目黒製作所は130万円を資本出資している。これは販売代理店への支援を強化する ことで、他の小型バイクメーカーやオート三輪メーカーの販売代理店へ鞍替えしようと考える代理店を食い止めようとする 目論見ではなかったかとも思われる。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)