〜メグロの履歴室〜:メグロ絶頂期(4)  第1回全日本オートバイ耐久ロードレース(浅間高原レース)は当初予定されていた昭和30年10月26〜27日が 順延となり翌11月5〜6日の開催となった。早朝より好天となった5日午前8時、開会式場に充てられた北軽グランド に集まった参加選手そして観衆を前にして、主催総務委員長・桜井淑雄による開会辞に始まり群馬県知事代理及び日本 モーターサイクルレース協会副会長の開催祝辞の後、選手代表の宣誓によってレースはスタートした。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   スタートは2車同時発走後に30秒間隔で2車出走して行くスターチング・スタート方式が採られた。このレースに 最も出場を心待ちに準備を重ねていた本田技研チームは社長・本田宗一郎自ら乗り込み、全てのカテゴリーへの参加を 表明して観衆の注目を浴びてはいた。が、初戦のライトウェイト(250cc)でまさかの敗退を期してしまう。続くウルトラ・ ライトウエイト(125cc)でも新進のヤマハチームに上位を独占される。この番狂わせによってレースの展開は読めなく なり、このコースでの勝者は意外な結果の連続となったのであった。  この日、ウルトラ・ライトウエイト級に参加したメグロは、ワークスレーサーRE2台に個人参加のレジナE改を加えて 3台であったが悪路の連続により苦戦。国道でさえ未舗装の上、公道でも荒れたダートルート。無制限のスピードで各車 が駆けた後の路面は更に荒れる。起伏もあり坂の頂部では勢い余ってジャンピングするマシンも多く周回を重ねる度に 途中リタイアする選手が続出。メグロ勢も例外なくNo12・ 内田末造 、No26 高原勇が相次ぎリタイアした。その中でNo1 ・REに乗る井上薫壱が辛うじて完走し13位に入るもののメグロとしては期待した成果を挙げるには至らなかった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   続く翌6日にはセニアウェイト(500cc)とジュニアウェイト(350cc)によるレースが行われた。セニアウェイト級には メグロワークスレーサー(RZA・RZB)4台に個人参加のメグロZ改の計5台が参加。セニアウェイト級から順次スタート、 続いてジュニアウェイト級がスタートするという混合レース方式であったが、共に重量級によるレースに前日に増して 迫力ある展開となった。前日の屈辱を見返すがように重量車は不得手ながらホンダチームの善戦が際立つ展開となる。 代わりに本命とされたメグロをはじめとするキャブトン、ホスクの重量車チームはアクシデントに見舞われリタイアが 続出。メグロ勢のNo51・宮迫繁幸、No54・太田譲、No57・水谷文雄、そして前年サンパウロ市開市400年記念国際モト レース代表選手として国際レースを垣間見たNo63・田代勝弘も敢え無く完走を逃す。  メグロは唯一、ワークスのNo60・RZBに乗り出場していた松川実が4位に入るがレース後に東京で行われた車両検査の 結果、キャブレターに一部外国製部品が使用されていたことが判り入賞が取消されてしまうと云う、メグロにとっては 不名誉なハプニングとなった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   終わって観ればレース予測とは裏腹に無名ライダー(伊藤史朗・ライラック・250cc)や新参メーカー(ヤマハ・125cc) が勝利する展開に、本命視されていたホンダやメグロは耐久ロードレースの難しさを痛感する結果になった。その一方で 公道を使用した耐久ロードレース開催の難しさに定期開催は難しいとの意見も相次ぎ、是が非でも専用コースによる レース開催を目指すべきとの日本モーターサイクルレース協会加盟メーカーの総意をもって、翌年には「浅間高原自動車 テスト協会」を設立、加盟19社によるオートバイの研究開発と耐久ロードレースの拠点としての専用コース設置に乗り 出すことになる。メグロはその中心となって活動したのは云うまでもない。                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         八重洲出版「月刊モーターサイクリスト」昭和30年12月号記事         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         三栄書房「サーキット燦々」大久保力・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)