〜メグロの履歴室〜:全日本自動車ショウ  メグロをはじめとして日本の自動車業界は、国内においてもはや戦争の影は完全に消え去り、二輪も四輪(三輪)も、増産 につぐ増産によって年々活況を迎える状況にあった。取りも直さず連合軍による占領下であったのが昭和26年、ようやく 対戦国との講和成立により国際社会への復帰を果たしたことにより、自動車産業に対する物資的制約が解消したことが、 何よりも寄与したことは間違いないが、一方の消費が社会安定と共に産業全般の拡大に伴い大きく伸びを見せ始めた事から 輸送力への要求(特に物流輸送)が増したことに寄る貨物自動車の増産は顕著であった。また就労者の賃金も上昇し生活に 余裕が出てきたこともあり、一部ではあるが企業の上級職者や自営業者などが自家用車を考えはじめてもいた。自家用車は 殆どが海外メジャーからのライセンスを得て国内メーカーが生産する半国産車が主ではあったが、トヨタを始めとして 純国産による車種も現れ始めていた。  当時はそんな新型車をアピールする手段として宣伝隊と称したキャラバン隊を編成して全国を宣伝して廻ったり、主要 各地で発表展示会を催したりと、各社独自で行うのが常であった。ところが年間に各社が発表する新車の数が増える中、 その負担を少なくする為にまとめて展示会を催す動きが出て業界新聞社の一部が主催とする形で不定期に開催されるよう になった。が、主催の新聞社が自社の宣伝目的に利用したり参加メーカーにリベートを求めて便宜したりと不利益な弊害が 出てくるようになる。この事態に自動車工業会をはじめとした自動車業界各団体では、自動車業界による産業見本市を実施 出来る機運に至ったとして自動車業界団体を主催とした展示会の開催を計画したのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   昭和29年、自動車業界の振興を目的に自動車メーカー、部品メーカー並びに業界販売事業者などによる団体組織、社団 法人・自動車工業振興会が発足、早々に初めての国産自動車の総合見本市「全日本自動車ショウ」が企画されたのである。 4月20日より、29日までの会期として、主催に自動車工業会並びに目黒製作所が連名する日本小型自動車工業会、自動車 部品工業会そして日本自動車車体工業会とした「全日本自動車ショウ」が東京・日比谷公園に於いて開催されたのであった。 "東京モーターショー"と称された初の国産自動車見本市には254社が参加、出品車両も267台を数えて戦後最大規模の 産業見本市となり来場者は会期10日間で54万7,000人の大盛況となった。  展示車両の内訳では普通乗用車は僅かに17台でしか無く、多くはバス・トラック・建機など産業用車輌とオートバイで あったが、中でもオートバイは出展車として唯一庶民の手が届く"自家用車"であった。そこで出品者の多くはオートバイ メーカーであり、各社ともこれを機会に大いに自社のバイクをアピールしようとしたのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   メグロも積極的にこの催しを利用した。丁度、創業30周年の節目を迎えたメグロを伝統と実績あるメーカーとして位置 付け、かつ性能の優秀さと商品種類の豊富さをアピールするべく量産市販されていた全ての車種を会場に持ち込み展示した のである。メグロの出展車は500cc・Z5、350cc・Yレックス、300cc・ジュニアJ3、250cc・ジュニアSであった。メグロにとっても初めてとも 云える展示会に、他の有力メーカーと比較されて観られるということで、その優劣が平等に評価されると云う面では賭けに 近いものであったが、それは他のメーカーとて同じである。ここでの成功が後の業績にも影響する要因になったのは云うまで も無かった。多くの来場者から羨望の目で注目されたメグロは更に業績を上げる足掛かりとすることができたのであった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   このように「全日本自動車ショウ」は、自動車メーカーにとって消費者に最大限アピールできる催しとして絶大な効果が あった。既に終戦の物資難を乗り越えてもはや充足した一般大衆は、必要なのに無いからあるモノで我慢する、あるいは それしかないから使う、と云う購買動機から、同じに買うなら良いモノ、あるいは格好いいモノ、性能の良いモノ、と云った 嗜好で選択するようになってきていた。そのような消費者の目に比較され、批評された自動車メーカーの中には評判を落とし その後の実績を落とすところ出て市場から退出するメーカーも多くなり始める要因にもなった。一方ではホンダ、ヤマハ、 スズキなど今に続くメーカーが評価を得て売れるきっかけとなり大量生産を開始するなど「全日本自動車ショウ」は当に大量 消費時代の幕開けを象徴するようなイベントでもあった。  メグロも同じく従来の実績や経験だけではなく、消費者にアピールするためには性能や格好と云ったデザイン面での対応 が必要であるとの認識を強くするきっかけになったのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   第一回目となったこの「全日本自動車ショウ」は、その成功により翌年以後年一回定期開催される日本屈指の産業見本市 「東京モーターショー」として今に続いている。                                              (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)