〜メグロの履歴室〜:メグロ躍進期(4)  昭和28年2月、メグロは戦前からの基本形を殆ど変わりないまま改良を重ねていた500cc・Zシリーズでは初めて とも云える見直しを図り、新型500cc・Z5を発表する。  Z5もやはり基本仕様である単気筒OHV4サイクル、ボアストロークも同じ498ccの機関ではあったが、機構の配置 を時流に合わせて見直し発電一体式ポイントタイマーから信頼性の高くなったマグネトーとダイナモを採用したのである。 これには既に同様の機構を採用していた250ccジュニアの開発が大いに反映されていた。更に速度性能の向上に伴う潤滑 と冷却対策のため、従来の弁式オイルポンプに替えて歯車式を採用する。これら改良による変更は結果的に外観的なメグロ のイメージを決定着けることとなった。この頃オートレースに於いてメグロと共に活躍するトライアンフにあまりにも似た 機関の形態は、代表的な英国製バイクを研究し、範として機構を配置した結果であり、メグロと英国製バイクの進化は此以後、 類似に同時進行して行くのであった。この改良により出力18HP/4000rpm、最高速度110km/hを得るが、Z5が 注目された理由はこれだけではなかった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   当時はまだオートバイとは実用車であり決して趣味的に使用する乗り物ではなかった。多くの外国車も輸入されてはいた がそれは国産車よりまだ高性能であるがために目的に応じて利用される状況であり、今のように趣味だけで使うのは極限ら れた一握りの人々と進駐していた連合国軍人程度であった。そこでメグロに寄せられる愛乗者たちの声からは日々利用する 中での実用的な要望が多かったのである。  その様な要望に、変速機のフットレバー操作を靴底で踏み込むだけで行えないかと希望が寄せられていた。一般的な変速機 の操作はフットレバーを蹴り上げて進段し踏み込んでローに戻す今でも主流である機構だが、一々フットレバーを蹴り上げ ていたら靴の甲に穴が開いてしまうから何とかして欲しいと云うことであった。メグロは得意とするトランスミッションに この声を反映するべく新たな開発を完成させた。当初エンドレス式と呼ばれたロータリー式トランスミッションである。  簡単なようでいたが、いざ開発を始めて見ると進段させた変速ポジションからロー、ニュートラルに戻す必要がある。そこで ポジションを扇形カムで設定している機構をやめて、ドラムにポジションを決定するカム溝を一周させて、ニュートラルから 進段した後トップの次は一周した先のニュートラルに戻っているという機構を考案する。  Z3までは手動操作としていた500ccクラス用変速機は、この新機構によるトランスミッションの完成によってようやく 時流に合わせたフット式に改められたのである。好評を持って歓迎されたロータリー式トランスミッションは逐次メグロの 各クラス車にも適用し、更にアセンブリーメーカーにも供給が始まると次第にロータリー式トランスミッションを採用する メーカーが拡がっていった。今でこそビジネスバイクなど実用車では一般的なロータリー式トランスミッションはこうして メグロから始まっていった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   この年は二輪車運転免許制度の改正により、250cc未満までの二輪車が軽二輪車区分となり、従来の自動二輪車運転免許 より取得容易となったことからJ3ジュニアからの250ccクラス分離と300ccクラスの充実を企てる。  4月、J3は300ccクラスのみとしてJ3Aとして継続、ロータリー式トランスミッションが搭載された。そして分離した 250ccクラスは新たに新ジュニアシリーズとしてS型を企画し、機関はG型を改良したK型:単気筒OHV4サイクルを開発。 S型は早々、S2としてロータリー式トランスミッションの搭載がされて、この後Sジュニアシリーズはメグロの実質的主力 車種として実績を伸ばして行くのであった。  そして7月にはかねてから開発を続けていた350ccクラスのオートバイを完成させる。単気筒OHV4サイクルの従来形式 に習った造りは500ccを希望しながら価格的に購買できないユーザーを対象にした仕様であったため、外観はZ5に似た 構成でまとめられトランスミッションもまたZ5に続いてロータリー式トランスミッションを採用したのである。  画期的であったのは、この開発に際してオートバイの操作安定性に関する研究を開始したことである。当初はオートレース に於いて安定した操作を得るにはどの様な条件が考えられるか具体化しようとオートレースの基金を活用した旧通産省から の研究補助金給付を受けて、これを基に昭和27年から東京工業大学の近藤教授の研究室に解析依頼を掛けたことに始まる。  そしてキャスター角度と重心位置の関連が解明された結果が反映されたのであった。今で言う産学共同による研究はまだ 珍しく、他のオートバイメーカーではそこまで考慮した開発を整えるところはまだ無かった。  Y型レックスと名付けられた350ccクラスは、8月に大々的な新車発表会を東京八重洲口にあるBSビルディングに ショールームを借り切り盛大に催したのである。販売網組織「メグロ会」の関係者はもとより多くの来場者から好評を得たので あった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   ここに500cc・350cc・300cc・250ccの4車種を取り揃えるメーカーとなったメグロは、これら新型車によって 年間生産台数を五千台近くにまで上げていったのである。         ・昭和28年々間生産台数記録          500cc:Z5型・・・・・・・・・1723台          350cc:Y型・・・・・・・・・・・497台          300cc:J3型・・・・・・・・・1771台          250cc:S型・・・・・・・・・・・586台          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−                    生産台数合計・・・・・・・・・・・・4577台                                               (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)