〜メグロの履歴室〜:オートレース復活と「メグロ」(2)  昭和27年、通商産業省の補助金交付とレーサーマシン開発指導によって完成したレーサーマシン「ブルー・メグロ」は 通産省の検定試験に他社試作車と共に臨んだ。結果は「ブルー・メグロ」のみが合格。他5社はレーサーマシンとしての基準 に至らず、結果的にはオートレース用国産車はメグロによって供給されることになった。  この事態に全国小型自動車競走会連合会はオートレースにのみによるオートバイ産業振興は難しいとして、ギャンブル レースではないアマチュアによるモーターレースにも積極的に関わるようになり同年、関東モーターサイクル選手権大会、 翌年、「名古屋TTレース」「第一回富士登山オートレース」が開催され、軽二輪車の性能向上に大きく貢献して行くのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   メグロにもオートレースの再開は良い事ばかりではなかった。元々、「目黒製作所」社長・村田延治をはじめとしてメグロ 社内には戦前からのオートレースに関わり深い人たちが多くその様な一人、関連会社の専務を務めていた桑原茂道は自身 がレーサーとして戦前から名声を得た人物で、始まったオートレースにも選手として出場し始めた。ところが昭和26年、 5月5日に行われた船橋オートレース場でのレースに出場中、桑原は落車して死亡したのである。  オートレース最初の犠牲者となった悲劇に際して村田はメグロ社内の人間が直接オートレースに出場することを禁じ、 以後メグロはレーサーマシン開発と選手の育成に注力するようになった。船橋オートレース場では、この事故を追悼する ため「桑原記念」レースが開催されたのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   同じようにオートレースの再開で自ら参加した一人に本社工場に勤めていた村田の娘婿、村田不二夫がいた。不二夫は なかなかハンサムな容姿で「メグロ号」広告にモデルとなったり、「メグロ号」に乗った姿で専門雑誌の表紙を飾ったりして いた。不二夫も延治のようにレースへの興味が高じ、自身でオートレースに臨みたいと思いが募り、選手として独立を決意。 しかし桑原の事故の事も在り、娘婿の申し出に躊躇した延治であったが、自身もレースへの興味でオートバイメーカーを 興した身であることから強く反対する事もできず結局、桑原の事故を教訓にオートレースには今後自ら出場をしない事を 条件として、メグロの下でオートバイメーカーを興すことを進言したのである。  「モナークモーター」と名付けられた不二夫の会社は、戦災後遊休地となっていた「目黒製作所」旧大森工場跡を延治から 借り受けて建てられた。早速新規に開発した車体に、メグロが外販を始めた4st・OHV150cc「BHK」エンジンを載せた「ポニー モナーク号」の製造販売を開始する。事業が安定すると、直ぐに当初の目的であったスポーツ仕様のオートバイ開発のため、 オートレースで親好厚かった野村房夫を共同経営者として呼び入れ、「モナーク・インターナショナル」を開発、野村が心頭 する英ベロセットを範とするエンジンとスポーティーな車体で注目を得ることになる。モナークモーターは当時としては 先進的なメーカーとして、その後のオートバイレースに存在を示すのであった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   こうして、メグロとオートレースの関わりが続くのであるが、黎明期のギャンブルレースではいかにもダークサイド的な 噂も絶えず、大衆の人気を得るまでには、退出していったバイクメーカーに入れ替わり英国から入ってきたJAPや新規に 参入してきたキョクトーがメグロやトライアンフのみであったオートレースに参戦して競い合う状況になるまで待たねば ならなかった。しかしメグロは根気よくオートレースに残ったことで、耐久性能や操作性など貴重なデータを経験として得 られたのは間違いないことであろう。またオートバイメーカーで在る以上、ギャンブルであろうとアマチュアであろうと、 レースによって自社の車の性能を消費者である大衆の面前に披露し、公平な結果として順位成績を残してこそ、正しい企業 活動であるということはその後のアマチュアレースやホンダ・ヤマハ・そしてスズキなどが海外でのオートレースに力を振 り向けたことでも、そして現在のモータースポーツの隆盛を観ても異論のないことであると思う。   (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」記事より「戦後バイク史の証人たち」         三樹書房「日本のオートバイの歴史」富塚清・著         日本経済評論社「日本の自動車産業」四宮正親・著         日本小型自動車振興会編「オートレース三十年史」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)