〜メグロの履歴室〜:戦時下の活動(2)  昭和18年9月、村田延治はかねてより計画を進めてきた本社工場疎開を栃木県烏山町高峯に決定し、関係省庁との 交渉を開始する。特に納入製品の殆どを占める海軍及び陸軍当局への工場疎開許可申請には機密や生産・輸送の効率と いった条件で認可までかなりの時間を要したが、疎開予定地となった烏山町の積極的な誘致活動に推される格好で、 翌19年に入って工場疎開許可が下りる。村田らは早々に現地で準備に入り現地社員数人を採用、工場建設の段取りに 当たらせた。  7月には工場予定地の買収を終え整地作業開始。造成には地元住民および国民学校(小学校)児童まで協力参加して の工事となった。勤労奉仕によるものであるが実際は烏山町長の要請による半ば強制に近いものであったようである。 工場建屋ほか建築資材は戦局悪化によって不足し、新規に調達できる状況には無いため、近隣に遊休施設となっていた 専売公社(たばこ)倉庫を買い取り、解体移設の上再利用したのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   昭和18年12月、疎開工場建屋が完成し早速本社工場より生産設備の疎開移送に入るとともに、地元・県立烏山 高等女学校の生徒による勤労動員で一部生産も開始したのであった。疎開工場は新設ではあるが、本社工場の疎開移動 の位置付けのため専任の工場長を置かず本社工場長の兼任として「目黒製作所」烏山工場となる。  烏山工場では主として海軍当局への製品生産を担当する事とし、上陸用舟艇の機関や海軍航空機用操縦席などを製作 したのである。  村田らは続けて本社工場に残された陸軍当局への製品生産設備の疎開計画を再検討し、疎開に難色を示していた陸軍 当局に対し東京近郊の五日市に移すことでようやく工場疎開許可が下りる。  このような疎開事業計画に対し、村田は資金調達のために増資を決定、4月5日に臨時株主総会を開き、増資額60 万(株主割当)を決議する。これにより翌年、「目黒製作所」の資本金は110万円にもなっていた。そして資本金額 規模に応じた役員数を確保するべく新たに、 ・役員:取締役 告野端午      同  大江友重 二名を新任として加える。後に戦後「メグロ」の復興を担う人材である。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   昭和20年3月、烏山工場は全面操業を開始、県立烏山高等女学校の生徒による勤労動員は約50名が毎日交代で 生産が行われるようになった。しかしながら、戦局は生産計画にも多大な影響を及ぼすようにもなっていたのである。 既に各地で米軍による空襲が始まり、同3月10日、東京は前代未聞の奇襲攻撃に襲われたのである。いわゆる 「東京大空襲」により、都心東部の江東区を中心とした下町は、ばらまかれた焼夷弾によって発生した火災と折からの 季節風に煽られて大火になり、都心の半分を消滅、死者10万人に及ぶ被害となった。  「目黒製作所」はまだ無事ではあったが、もはや都心では生産活動を継続できる環境ではなくなった。そして遅れて いた五日市への工場疎開を急がせたのであるが、同4月15日、都心城南地域を米軍のB29編隊が襲い、そして 同5月24日、比較的空襲被害のなかった都心西部を狙うかのように米軍のB29編隊は3月10日の作戦を上回る 規模で襲ったのである。この空襲により都心西部もほぼ壊滅、死者数は避難が徹底してか少なくはなったがそれでも 数千人規模に上った。  ここにおよんで「目黒製作所」本社工場、及び大森工場も遂に被災し活動を停止したのである。しかしながら幸い にも疎開計画はほぼ終わり、最後まで残っていた陸軍当局への製品生産設備は五日市へ移動した直後のことであった。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   とは言え疎開した「目黒製作所」の各工場は殆ど生産活動が出来ない状況になっていた。東京は数次にわたる空襲で 都市機能をほとんど果たさなくなり、生産活動ができる事業所はほとんど無くなっていた。輸送機関も各地空襲により 満足に機能しておらず、必要物資は不足するばかりになっていた。その上、烏山工場も五日市の疎開準備工場にも、 そして「目黒製作所」の協力工場となっていた昌和製作所・沼津工場にも、戦局末期に制空権を握った米軍艦載機に よるP51編隊が暫時飛来し空襲を仕掛け、機銃掃射と通常爆弾の投下をしていったのである。  物資の生産・輸送、そして食糧供給に差し障る被害拡大のために必ずしも計画通りの生産活動とはいかない状況でも あった。こうして生産設備や従業員の疎開は成ったものの事実上事業停止の状況の中、8月15日を迎えるのであった。  (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」         河出書房新社・図説「東京大空襲」早乙女勝元・著         河出書房新社・図説「アメリカ軍の日本焦土作戦」太平洋戦争研究会・編著  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)