〜メグロの履歴室〜:メグロ号誕生(3)  昭和12年早春、村田延治と鈴木高治は「目黒製作所」による国産の市販オートバイ「メグロ号」をとして3台を 完成させた。  フレームには多田建蔵商店より購入した英国ベロセ社の「ベロセット」KSSモデル(350cc)をベースに ほぼ完全なトレースによって設計した丸鋼管ろう付け組立の頑強なものであった。  変速機には「メグロのギヤーボックス」として製造・販売していたメグロ独自のものから新設計して信頼性を高めた。 そして機関には自社開発のMAGタイプ4サイクル単気筒498ccOHVガソリンエンジンを載せて国産バイク としては贅沢な仕様とした。外装は輸入二輪車にも引けを取らない塗装と装飾で飾りマフラーの形状はフィッシュ テール形を採用した。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   昭和12年3月、村田は目黒・雅叙園に於いて盛大な「メグロ号」披露会を催行する。それは単なる製品発表の会 ではなく「目黒製作所」の晴れの舞台を演出することが目的であったとも言えよう。来賓総勢200名にも及ぶ盛会 となり、同業関係者のみならず各界の有力者や新聞記者も多く、「メグロのオートバイ」をアピールするには十分で あった。そして市販を期待する要望にこたえるように早々量産開始する。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   ようやく完成した一号車に型式名を付けるのだが、これには鈴木に考えがあった。オートバイはまだまだ沢山売れる 商品ではないから、一番買ってくれそうなところに売り込んで、まとめて買ってもらうのが効率的であろう。良く 見かけるオートバイは陸軍か警察の車だから、そこに持っていこう。  そこで少しでも印象の良い型式名として、当時使い出された皇紀という元号を基に「97式」とすることにした。 それは昭和12年が皇紀2597年とされていたからであったが、鈴木は更に“Z”と符号を付けて「Z97」とした。  海軍出身の技師であった鈴木には、「メグロ号」がこれから先の「目黒製作所」を左右する商品になるとの期待が あったのではないだろうか。日露戦争時、ロシア最強のバルチック艦隊を対馬沖の日本海上で撃破した海戦に準えて 「目黒製作所」の最高で不退転となる製品との思いが“Z”に込められているようである。  しかしながら、村田たちにはオートバイがどのくらい売れるものか見当も付かず、販売方法も特に代理店を考えて いたようでもなく、半ば成り行きと当初から期待していた軍需に頼ることしか考えてなかったのである。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   昭和14年、警視庁の交通パトロール用白バイとして審査に「メグロ号」は高い評価を得て10台が採用される。 それまでの白バイは米国インディアン社(採用当時は赤バイ)、同ハーレー社と、そのライセンスカーである「陸王号」 のみであり、名誉なことではあった。しかし最も期待していた軍部からの評価はなかなか得られないでいた。  昭和15年になり漸く陸軍技術本部より、支那方面作戦用としてオートバイ活用計画が立案され、これに伴い準備 として「目黒製作所」の「メグロ号」Z98・500ccと宮田製作所の「アサヒ号」2スト・175ccが評価される ことになった。性能調査は10日間にわたり実施され、定置試験・長距離走行試験など、戦地用バイクの設計資料として 記録される。  村田たちは今度こそ軍部での採用が出るのではと期待したのだが、結果は「優秀」とのお墨付きは得られた物の、この 戦地用バイクの計画自体が立ち消えとなったために軍用「メグロ号」は幻に終わる。  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−   市販後の「メグロ号」は当時の国産バイクとしてはよく売れた。昭和13年には改良型「Z98」を発表し、これには 500ccクラスに加え600ccクラスも用意する。しかし幾ら売れたといっても月数台程度で、とても「目黒製作所」 の主力商品にはなり得なかったのである。それは当初から代理店の不備による全国的な知名度の不足であったことは 否めない。同じく国産バイクとしてよく売れていた「キャブトン号」は販売店・中川幸四郎商店によって大々的に宣伝 されて、当時「陸王号」と共に広く知られたブランドとなっていたのである。「メグロ」のブランドはまだギヤーボックス に代表される自動車用部品でありオートバイ「メグロ号」としてではなかった。  昭和16年、戦時下の燃料統制に伴い「不急要製品」にオートバイが指定され製造販売が禁じられる。このため 「メグロ号」も昭和15年で戦前期においての生産を終えたのであった。わずか3年間、約300台程度の販売実績であった。   (つづく) (*この文章は、二輪史研究会資料「メグロ資料集」         二輪史研究会資料「メグロコレクション」         二輪史研究会資料「メグロ製作所社史」         八重洲出版「日本モーターサイクル史1945-1997」より「懐かしの名車STORY“メグロ物語”」  より参照、構成しています。) (*登場者の敬称は省略させていただきます。)